現役時代から保存までとは? わかりやすく解説

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現役時代から保存まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 06:32 UTC 版)

国鉄8620形蒸気機関車58654号機」の記事における「現役時代から保存まで」の解説

1922年大正11年11月18日日立製作所笠戸工場落成製造番号 62)。同年12月26日付で浦上機関庫新製配置され長崎本線使用された。その後九州各地転々としたのち、1949年昭和24年6月21日付で西唐津機関区転属し、唐津線使用された。1961年昭和36年4月20日には長崎本線佐賀 - 唐津線唐津間で、翌21日には唐津線唐津 - 久保田お召し列車牽引している。 1964年昭和39年6月4日付で若松機関区転属してからは、筑豊路線使用された。1968年昭和43年6月1日付で人吉機関区転属してからは、湯前線貨物列車使用された。1975年昭和50年3月9日に同線多良木人吉間での貨物列車牽引をもって運用終了同年3月31日付で廃車となり、人吉市貸与された。その後肥薩線矢岳駅前の人吉市SL展示館展示されることになった新製から廃車まで走行した距離は300 km余りであった

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現役時代から保存まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 03:32 UTC 版)

国鉄D51形蒸気機関車498号機」の記事における「現役時代から保存まで」の解説

D51 498は、1940年11月24日鉄道省鷹取工場にて落成し鷹取から近い岡山機関区新製配置された。のちに吹田1951年8月 - )→平(1953年12月 - )→長岡第一1963年10月 - )→直江津1965年4月 - 、配置替えではなく貸し渡し)→新津1966年3月 - )→坂町1972年3月 - )と各機関区転々としていた。先輪刻印から1955年10月郡山工場C58 103の物に交換されたことが分かっている。当のC58 1031972年廃車後岩手県一関市一関文化センター保存されている。 なお、新津時代には、同じJR東日本復元されC57 180同時に所属していた時期本機新津配転された1966年からC57 180廃車された1969年まで)があった。また、のちの1972年梅小路蒸気機関車館動態保存され、現在山口線保存運転を行っているC57 1とも同時に所属していた。このため1966年から1969年3年間は奇しくも3台の復活蒸機が同じ所属活躍していたこととなる。さらにその前の平機関区所属時には梅小路蒸気機関車館にて動態保存されている8630(1952年12月 - 1970年3月)と、銀河鉄道999モデルともなったC62 481950年8月 - 1967年9月)の2台と同籍しており、当機は多く名声ある機関車との関わり持っている1972年10月鉄道100周年記念八高線にて運転されイベント列車牽引最後に運用から外れた。なお、配置坂町機関区のままで、高崎第一機関区には貸し渡しとされている。 その後同年12月1日に車籍抹消となったが、同日群馬県利根郡月夜野町(現・みなかみ町)に貸与されることが決定し4日後の12月5日上越線後閑駅前(構内脇)にて静態保存された。

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現役時代から保存まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 03:49 UTC 版)

台湾鉄路管理局DT668号機」の記事における「現役時代から保存まで」の解説

本機1941年昭和16年)に川崎車輌製造されグループで、形態的には内地向けのD51形における標準型属する。台湾総督府鉄道での車番はD5118、川崎車輌での製造番号は2593。第二次世界大戦中であったので同形機と共に戦時下貨物輸送重用されたと思われるが、戦時下ゆえにその記録乏しい。 光復後1949年一斉改番が行なわれ、DT668改番されたほか、カウキャッチャー煙室戸にクリート取り付けなどの各種改造受けたが、民国期変わらず貨物用機関車として運用されていた。1979年西部幹線電化されるなど、台湾においても無煙化の波が押し寄せ1984年3月除籍となった

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現役時代から保存まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 09:14 UTC 版)

国鉄C61形蒸気機関車20号機」の記事における「現役時代から保存まで」の解説

C61 20は、戦時形のためそのまま使い続けにしても何らかの改修が必要であったD51 1094のボイラー流用し1949年昭和24年8月1日三菱重工業三原製作所にて製造番号 659として落成した8月30日青森機関区新製配置された。のちに仙台機関区転属し、当時花形特急はつかり」や「はくつる」などの牽引を担うため長らく在籍するが、1966年12月14日に再び青森機関区へ戻ることとなる。5年後1971年東北本線奥羽本線電化進み活躍の場失った当機は、終焉の地として九州地方宮崎機関区へと赴き、9月19日より運用開始急行日南51号」から貨物列車まで様々な列車牽引充当され1973年昭和48年8月28日廃車となった新製から廃車まで走行距離2869,889 km及んだ廃車当時SLブームであったこともあり、当機は国鉄から無償譲渡され群馬県伊勢崎市華蔵寺公園遊園地静態保存されることとなった1973年12月18日鹿児島鉄道管理局出水機関区出水駅)を出発し12月27日高崎操車場へと到着伊勢崎の地にやってきたのは年明け1974年1月17日その後当地組立作業が行われ、静態保存機として展示開始されたのは3月入ってからのことである。

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