台湾総督府鉄道
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台湾総督府鉄道(たいわんそうとくふてつどう、旧字体:臺灣總督府鐵道󠄁)は日本統治時代の台湾総督府が経営した鉄道である。
- ^ 「岩波講座 近代日本と植民地(第3巻)植民地化と産業化」所収、高橋泰隆「植民地の鉄道と海運」
- ^ 『官報』第4908号「叙任及辞令」明治32年11月9日
- ^ 『官報』第7018号「叙任及辞令」明治39年11月19日
- ^ 『官報』第7644号「叙任及辞令」明治41年12月17日
- ^ 『官報』第8139号「叙任及辞令」明治43年8月8日
- ^ 『官報』第8166号「叙任及辞令」明治43年9月8日
- ^ 『官報」第983号「叙任及辞令」大正4年11月9日
- ^ 『官報』第2009号「叙任及辞令」大正8年4月17日
- ^ 『官報』第3724号「叙任及辞令」大正14年1月24日
- ^ 『官報』第1561号「叙任及辞令」昭和7年3月16日
- ^ 『官報』第2940号「叙任及辞令」昭和11年10月19日
- ^ 『官報』第3421号「叙任及辞令」昭和13年6月1日
- ^ 『台湾総督府報』第3934号「叙任及辞令」昭和15年7月8日
- ^ 『官報』第4644号「叙任及辞令」昭和17年7月4日
- ^ 『台湾総督府官報』第745号「叙任及辞令」昭和19年8月24日
- 1 台湾総督府鉄道とは
- 2 台湾総督府鉄道の概要
- 3 組織の長
- 4 路線
台湾総督府鉄道
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「国鉄400形蒸気機関車」の記事における「台湾総督府鉄道」の解説
台湾総督府鉄道へは、ナスミス・ウィルソン社製が1901年に5両と1902年に6両の計11両、1907年にノース・ブリティッシュ・ロコモティブクイーンズパーク工場(旧ダブス。製造番号 18378 -18382)製5両が納入されている。これらは、クロスヘッドの滑り棒が1本であり、内地の同形機の2本と異なっていた。この他、1902年にロバート・スティーブンソン(Robert Stephenson & Co.)製の2両が輸入されている。 台湾では、18形(ナスミス・ウィルソン製は18 - 27。ロバート・スティーブンソン製は28, 29、ノース・ブリティッシュ製は33 - 37)と称された。1937年にはB33形と改称されたが、番号は変更されていない。その後、36, 37が台北鉄道に譲渡されて同社の6, 7となっている。 太平洋戦争後は、台湾鉄路管理局に継承され、汽車製造製の同系機とともにBK10形(BK11 - BK23)となった。台北鉄道分も鉄路管理局に引き継がれ、BK28, BK29となっている。
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台湾総督府鉄道
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「北門駅 (台北市)」の記事における「台湾総督府鉄道」の解説
1915年(大正4年)8月17日、総督府鉄道淡水線の大稲埕に代わる旅客始発駅として台北庁大加蚋堡(中国語版)大稲埕北門口街に開業。単式ホーム1面1線の地上駅であった。1923年(大正12年)3月16日に台北駅始発化に伴い廃止された。 跡地は戦後に国道客運台北総站となり、2010年以降は台北双子星西棟の予定地となっている。
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台湾総督府鉄道
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「国鉄4110形蒸気機関車」の記事における「台湾総督府鉄道」の解説
300形は、台湾総督府鉄道縦貫線の西海岸の勾配区間用として製造された鉄道院4110形の同形機である。1915年(大正4年)に6両(300 - 305。製造番号171 - 176)、1916年(大正5年)に5両(306 - 310。製造番号292 - 296)の計11両が汽車製造により製造され、苗栗庫に配置された。内地向けの2次車と大きく変わるところはないが、大煙管が1本多い22本であることや、炭庫背面や側水槽上縁に曲線を用いたデザインが特徴的である。 海岸線の開通により余剰気味になり、1935年(昭和10年)に303、304が新竹機関庫(現新竹機務段南新竹機務分駐所)に配転。1937年には、E43形に改称されたが、番号の変更はなかった。1938年(昭和13年)頃300、301、303が廃車となり、残余は新竹に集中配置となった。戦時中に状態不良で302が廃車となった。太平洋戦争後は7両が台湾鉄路管理局に引き継がれ、EK900型(EK901 - EK907)となっている。1968年2月に全車廃車、解体となった。
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台湾総督府鉄道
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「国鉄230形蒸気機関車」の記事における「台湾総督府鉄道」の解説
前述した1901年製の記念すべき製造番号1, 2も、本系列に属する機関車(参宮鉄道納入のものと同形)である。これらは、1900年7月頃から納入先が未定のまま製造に着手し、その後台湾総督府鉄道に納入されることとなったが、製造番号1は輸送中の海難事故により、同時に発送されたエイボンサイド製のA3形1両とともに喪われ、製造番号2のみが台湾に到着して同部の18形に編入され、30となった。1903年には、代機として製造番号6が製造され、同年開催された内国勧業博覧会に出品の後、台湾に送られた。同機は翌年、31として入籍している。その後、台湾向けには同形機1両(製造番号19・32)が追造されている。太平洋戦争後は、イギリス製の同系機とともにBK10型とされ、BK22 - BK24に改められた。
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