内国勧業博覧会
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内国勧業博覧会(ないこくかんぎょうはくらんかい)は明治時代の日本で開催された博覧会である。国内の産業発展を促進し、魅力ある輸出品目育成を目的として、東京(上野)で3回、京都・大阪で各1回の計5回を政府主導で開催し、最も規模が大きかったのは最後となった第五回であった。
- 1 内国勧業博覧会とは
- 2 内国勧業博覧会の概要
内国勧業博覧会
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「岡崎公園 (京都市)」の記事における「内国勧業博覧会」の解説
壮麗を極めた往時の六勝寺の伽藍も、その後の戦乱で灰燼に帰してしまい、幕末維新の頃には、岡崎には人家も疎らで、空き地が広がっていた。明治時代、東側に隣接する蹴上の地域に、琵琶湖疏水が引かれ、日本初の水力発電所が建設され、インクラインを利用した水運も発達すると、岡崎の地を琵琶湖疏水の本流が西流するようになった。1892年には、京都市の有力者が、平安遷都千百年紀念祭とあわせて、内国勧業博覧会の誘致運動を進め、会場として聖護院・岡崎周辺を想定した。 1895年には、疏水の北側の地域を会場として内国勧業博覧会が開催され、賑わいを取り戻した。その会場跡に造営されたのが、平安神宮であり、その他、文化施設も建設され、1903年には、京都市議会が博覧会場跡の市有地を岡崎公園とすることを決議し、1904年に公園が開設された。
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