国鉄A3形蒸気機関車
A3形 (9, 10)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 06:23 UTC 版)
1896年、英ダブス製。軸配置0-6-0 (C) のタンク機。後の山陽鉄道31形 → 鉄道院1230形
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A3形
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「LNER A1形・A3形蒸気機関車」の記事における「A3形」の解説
一連の問題が解決した後、ナイジェル・グレズリーはA1形の改良に取り掛かった。なかでも2555号機「センティナリー」で行なわれたシリンダー直径の減少、ボイラーの高圧化 (180PSIから220PSI) および過熱器の拡大は成功を収めた。この結果を基に新たな機関車としてA3形が製造され、既存のA1形もそれに準じた改造を受けA3形に編入された。A3形はLNERの重量級急行列車牽引でA1形以上の成功を収めた。2750号機「パピルス」は108mphのイギリス鉄道における速度の新記録を樹立し、流線型のA4形への足がかりとなった。 第二次世界大戦が勃発すると、24両編成の貨物列車を東海岸本線で運転することが計画され、A3形や改造前のA1形がその運用に駆り出された。戦時体制下では整備状態が悪化し、種々のトラブルが発生した。特に、本形式の最大の特徴であったグレズリー式弁装置には不具合が頻発し、これを採用した他形式では戦後通常の2気筒式蒸気機関車あるいはワルシャート式弁装置を3組並べた3気筒式機関車への改造が実施されたものもあるが、本形式とA4形については保存車のみとなった現在に至るまでこの特徴的な弁装置が維持されている。 戦後、A3形の外観に変更が行なわれた。ドイツ式のデフレクター(除煙板)が煙室の両側に設置されるとともに、1958年から1960年にかけて火室の通気能力増強を図って2本煙突化が行なわれた。
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