A1形 (1 - 4, 11 - 13)
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「讃岐鉄道」の記事における「A1形 (1 - 4, 11 - 13)」の解説
1889年、1894年、1901年、独ホーエンツォレルン製。軸配置0-4-0 (B) のタンク機。後の山陽鉄道29形 → 鉄道院60形
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A1形
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「LNER A1形・A3形蒸気機関車」の記事における「A1形」の解説
A1形は東海岸本線の急行列車牽引に十分な能力の確保、既存機よりも経済的に運行可能とする点を目的に開発され、1911年に当時のGNRの技術責任者であった、ナイジェル・グレズリーにより提案された。この形式は1922年4月から1923年9月の間に12両(1470〜1481号機)、1924年6月から1935年2月の間に67両(2543〜2582、2743〜2752、2595〜2599、2795〜2797、2500〜2508号機)が製造され、製造後すぐにGNRでのA1形による最初の営業運転が行なわれた。各機関車はGNR時代では名前がなかったものの、1924年2月に当時の有名な競走馬の名前がつけられ、同時に最初に製造された12両の番号が、4470〜4481に変更された。 製造費用の面では、当時競合とされたグレート・ウェスタン鉄道 (GWR) のキャッスル級の最初の10両が1両当り£6,840で製作されたのに対し、A1形の最初の10両は1両当り£8,560となっており当時としては高価な機関車であったと言える。 1923年の大合併を経て、GNRはLNERの一部となり、ナイジェル・グレズリーはLNERの技師長となった。A1形は通常のワルシャート式弁装置による左右各1基のシリンダーに加え、それら2基のシリンダーの弁装置から連動てこによって差動合成することで所要のバルブタイミングを生成するグレズリー式連動弁装置と、これによって動作する第3シリンダーを車輪間に持っていた。 A1形の登場によりLNERの基幹路線であった東海岸本線の急行列車は一新、グレズリーの前任者アイヴァットの設計したC1形は同社の主力機の座を譲る事となった。また、A1形の中でも最も有名な4472号機「フライング・スコッツマン」は公式に時速100マイル(160km/h)を超えた最初の機関車となった。 重要な設計上の問題として、潤滑油のパイプの破損が挙げられる。この潤滑油のパイプの交換には、ボイラーを取り外す必要があり、非常に大規模な手間を要した。 1925年にグレート・ウェスタン鉄道のキャッスル級とA1形を互いの会社の路線で走行させた比較試験の結果、最も大きな問題点が明らかとなった。この比較の結果、A1形よりも小柄なキャッスル級(軸配置:4-6-0)が出力と石炭消費の両面でA1形に勝っていることが判明し、キャッスル級の石炭消費が少ないのは、GWRが発熱量の大きいウェールズ炭を使用しているためとしていたLNER側の主張を覆すこととなった。キャッスル級の石炭消費が少ない理由は弁装置の設計にあり、バルブ・トラベルを大きく設計してボイラーから供給される蒸気の膨張を生かし、蒸気の消費量を抑制していた。ナイジェル・グレズリーは過去に自身の設計した機関車で、バルブ・トラベルを大きくしたためにシリンダー破損に至った形式があったことから、比較的小さいバルブ・トラベルでA1形の弁装置を設計していたが、キャッスル級での成功を見て、後に設計変更を行なっている。
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