歴史と現在
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「カルフーン郡 (ジョージア州)」の記事における「歴史と現在」の解説
カルフーン郡の郡名は第7代アメリカ合衆国副大統領を務めたジョン・カルフーンに因んで名付けられた。 郡庁所在地のモーガン市には歴史ある郡庁舎がある。アーリントン市に1つだけ3色の交通信号があり、また南北方向と東西方向の鉄道もある。 郡とその都市では毎年祭が開催されている。スティルポンド・ビニヤード&ワイナリーは家族で所有運営するワイン製造所であり、南部のベイカー郡と接する場所にある。ここでは4月の第1土曜日にバッド・ブレイク・バッシュ、8月の第1土曜日にグレープ・ストンプ、12月の第1土曜日にホリデー・フェスティバルを開催している。エディソン市は5月の第2土曜日にビリー・レーン・キング・コットン・チャリティ・ホースショーを開催している。アーリントン市では5月の第1土曜日にジョージア州最古の祭りであるメイデーを開催し、リアリー市は12月の第2土曜日にリアリー・クリスマス・パレードを開催している。モーガン市は収穫祭を開催している。カルフーン郡は11月の第2土曜日にジョージア州道37号線沿いで開催される南西ジョージア・ハイコットン65マイル・ヤードセールに参加している。 郡内最大の雇用主はカルフーン郡病院局であり、カルフーン記念病院、カルフーン介護ホーム、R・E・ジェニングス医療クリニック、ウィロウッド生活支援施設、カルフーン・リハビリテーション・サービスの5か所の医療介護施設を運営している。カルフーン記念病院は、ジェニングス医療クリニックとカルフーン・リハビリテーション・サービスと共にアーリントン市R・E・ジェニングス・アベニューにある。この病院は25床の救急医療病院であり、1951年にヒル・バートン病院として設立された。ジェニングス医療クリニックには医師2人、中程度医療助手2人、資格ある支援スタッフがおり、初期医療に携わっている。カルフーン介護ホームは60床の長期療養施設であり、ウィロウッド生活支援施設は高齢者の独立性を確保することに重きを置く15床の個人介護施設であり、エディソン市にある。 カルフーン郡小学校がアーリントン市に、カルフーン郡中学・高校がエディソン市にあり、またカルフーン郡図書館もある。カルフーン州立刑務所がモーガン市にあり、リアリー市には2つのピーナッツ公売所がある。大型農場とくエール・ハンティング・プランテーションには美しい景観と道路がある。地域経済のかなめは農業である。 2008年、南西ジョージアに展開されている無線ブロードバンド・サービスを行うSGRITA社がアーリントン市に入った。
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歴史と現在
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アイマラ語は、もともとペルー中央部リマ県の山間部に起源があるハケ語族(Jaqi)に含まれる。この系統の語族の中には、ハカル語やカウキ語が含まれる。こういったことから、アイマラ族は、ティワナク崩壊後にペルー方面からチチカカ湖周辺に下ってきたという説がある。しかし、言語学者で支持する研究者は少なく、詳しいことはわかっていない。リマ県の山間部にあった同系統のハケ語族はスペイン語に吸収されていったが、スペイン人の侵略以前は、かなり広範囲にハケ語系言語が現在のペルー南部地域で話されていた。また、16世紀のスペイン人の侵略時には、クスコやアヤクーチョでもアイマラ語やそれに近い系統の言語を話す人々が多かったことが記録されている。モケグア県やアレキパ県もアイマラ語圏であったという。 ボリビアでは、ラパス県、オルロ県、ポトシ県に集中しており、ペルーではプーノ県に集中している。 また、1970年代初頭に調査を行ったLucy Therina Briggsによれば、アイマラ語は、北方言と南方言に別れるという。北方言はチチカカ湖周辺、南方言はポオポ湖周辺に分布しており、その中間形態がペルーのモケグワ県とタクナ県で話されているという。さらに、これらの方言区分とは別に、都市部で用いられる中央方言、遠隔地域で話される周辺方言とに、Briggsは分けている。これは接辞の音韻の変化などに基づいている。 現在もボリビア、ペルーなどで話されているが、アイマラ語しか話せない人は近年少なくなっている。特に都市部ではアイマラ語しか話せない人はほぼいない。むしろ、アイマラ族が多数居住するエル・アルト市においても、アイマラ語を全く解さずスペイン語しか話せないという人が若者を中心に増えてきている。 近年は古い文化を見直す動きが高まっており、アイマラ語についても衰退させないための活動が増えてきている。例えばボリビアでは、アイマラ語専門のラジオ局ができたり、医師には勉強を義務づけるなどの動きがある。また、インターネットから利用できるアイマラ語辞書のページも作られた。ウィキペディアにもアイマラ語版が存在する。アイマラ語の新聞も出版されている。しかし、都市部においては、実際は日常生活でアイマラ語が多く利用されることはほとんどなく、またアルファベット化の問題もあり、日常生活で文字文化として触れる機会は少ない。ただし、ラパスやプーノでも市場などではよく話されている。 ペルーやボリビアでは、小学校からスペイン語教育が徹底されるため、早くからスペイン語に触れる機会が増えてきている。また、商業や通信などほとんどの場で、アイマラ語に触れる機会が少ないため(ただし、電話のインフォメーションなどではアイマラ語やケチュア語が選択できる)、あるいはアイマラ語を必要としないため、都市部に近いところでは、若者がアイマラ語を話さなくなってきており、アイマラとしてのアイデンティティーが失われ、ペルアーノ(ペルー人)、ボリビアーノ(ボリビア人)としての新しいアイデンティティーが形成されつつある。これは新大陸、特にメキシコ以南のラテンアメリカ諸国における先住民のアイデンティティーが各自の言語と密接に結びついていることを、如実に示している。
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