明治時代の「参与」
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参与(さんよ)は、明治時代初期に新政府に設置された官職。 1867年12月王政復古の政変によって新設された三職の一つ。下級廷臣ないし藩士によって構成されていた。参与の会議は下議院または下の議事所と呼ばれていた。また同じ参与でも廷臣出身者は上の参与、藩士出身者は下の参与と呼ばれた。下の参与は西南雄藩出身の有力藩士たちであったので、維新政府の実質的な指導部はここにあった。 1868年4月21日政体書に基づく太政官の復興で三職は廃止されたが、参与は議政官上局の構成員として翌年5月まで存続した。 公家、廷臣愛宕通旭、阿野公誠、石山基正、岩倉具定、岩倉具綱、岩倉具視、植松雅言、正親町公董、正親町実徳、大原重朝、大原重徳、烏丸光徳、久我通久、五条為栄、五辻安仲、西園寺公望、澤宣嘉、三条西季知、四条隆謌、四条隆平、白川資訓、醍醐忠順、高倉永祜、中院通富、堤哲長、徳大寺実則、中山忠愛、西四辻公業、橋本実陳、橋本実麗、橋本実梁、長谷信篤、長谷信成、東久世通禧、東園基敬、平松時厚、坊城俊章、坊城俊政、万里小路博房、万里小路通房、壬生基修、柳原前光、吉田良義、鷲尾隆聚 非蔵人、地下人鴨脚光長、中川元績、松尾相永、松尾相保、松室重進、吉田良栄 薩摩藩井上長秋、岩下方平、大久保利通、五代友厚、小松清廉、西郷隆盛、寺島宗則、町田久成、吉井友実 長州藩伊藤博文、井上馨、木戸孝允、楫取素彦、広沢真臣 福井藩青山小三郎、酒井十之丞(忠温、直道)、中根雪江、毛受洪(鹿之助)、由利公正 尾張藩荒川甚作、田中不二麿、田宮如雲、丹羽賢、林左門(安孫子静逸) 熊本藩長岡護美、木村得太郎、津田信弘、長谷川景隆、溝口孤雲、横井小楠 佐賀藩大木喬任、大隈重信、副島種臣 土佐藩神山郡廉、後藤象二郎、福岡孝弟 広島藩久保田秀雄、桜井元憲、辻維岳 宇和島藩井関盛艮、林通顕(玖十郎)(東征大総督府参謀) 岡山藩土倉正彦(家老)、土肥典膳(岡山藩番頭) 鳥取藩荒尾成章(米子荒尾家分家)、土肥謙蔵 その他小原鉄心(大垣藩家老)、十時維恵(柳川藩)、平田鐵胤(国学者・平田篤胤養子)、小河一敏(岡藩)、秋月種樹(幕府若年寄、高鍋藩世子)、戸田忠至(宇都宮藩重臣、高徳藩初代藩主)、成瀬正肥(犬山藩主)、亀井茲監(津和野藩主)
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