明治時代の「参与」とは? わかりやすく解説

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明治時代の「参与」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 22:20 UTC 版)

参与」の記事における「明治時代の「参与」」の解説

参与(さんよ)は、明治時代初期新政府設置され官職1867年12月王政復古政変によって新設され三職一つ下級廷臣ないし藩士によって構成されていた。参与会議は下議院または下の議事所呼ばれていた。また同じ参与でも廷臣出身者上の参与藩士出身者は下の参与呼ばれた。下の参与西南雄藩出身の有力藩士たちであったので、維新政府実質的な指導部はここにあった1868年4月21日政体書に基づく太政官復興三職廃止されたが、参与議政官上局構成員として翌年5月まで存続した。 公家廷臣愛宕通旭阿野公誠石山基正岩倉具定岩倉具綱岩倉具視植松雅言正親町公董正親町実徳大原重朝大原重徳烏丸光徳久我通久五条為栄五辻安仲西園寺公望澤宣嘉三条西季知四条隆謌四条隆平白川資訓醍醐忠順高倉永祜中院通富堤哲長徳大寺実則中山忠愛西四辻公業橋本実陳、橋本実麗橋本実梁長谷信篤長谷信成東久世通禧東園基敬平松時厚坊城俊章坊城俊政万里小路博房万里小路通房壬生基修柳原前光吉田良義鷲尾隆聚 非蔵人地下人鴨脚光長、中川元績、松尾相永、松尾相保、松室重進、吉田良薩摩藩井上長秋岩下方平大久保利通五代友厚小松清廉西郷隆盛寺島宗則町田久成吉井友実 長州藩伊藤博文井上馨木戸孝允楫取素彦広沢真臣 福井藩青山小三郎酒井十之丞(忠温、直道)、中根雪江毛受洪鹿之助)、由利公正 尾張藩荒川甚作田中不二麿田宮如雲丹羽賢左門安孫子静逸) 熊本藩長岡護美木村太郎津田信弘、長谷川景隆、溝口孤雲横井小楠 佐賀藩大木喬任大隈重信副島種臣 土佐藩神山郡廉後藤象二郎福岡孝弟 広島藩久保田秀雄、桜井元憲、辻維岳 宇和島藩井関盛艮林通顕(玖十郎)(東征大総督府参謀岡山藩土倉正彦家老)、土肥典膳岡山藩番頭鳥取藩荒尾成章米子荒尾家分家)、土肥謙蔵 その他小原鉄心大垣藩家老)、十時維恵(柳川藩)、平田鐵胤国学者平田篤胤養子)、小河一敏岡藩)、秋月種樹幕府若年寄高鍋藩世子)、戸田忠至宇都宮藩重臣高徳藩初代藩主)、成瀬正肥犬山藩主)、亀井茲監津和野藩主)

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