日本人の宗教観とは? わかりやすく解説

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日本人の宗教観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 06:50 UTC 版)

日本の宗教」の記事における「日本人の宗教観」の解説

もともと日本においては平安時代以降明治維新以前浄土真宗除き神仏習合基本で、神道と仏教分けられない場合一般的だった寺院内に鳥居があったり、「八幡神八幡大菩薩)」と神社の神を菩薩呼び方で呼ぶ事例などに名残を見ることができる(ただし、どの時代にも熱心な仏教信者がいた)。 江戸時代戸籍管理目的として、仏教宗派いずれか寺院か、神社への帰属義務付けられた(寺請制度)ことによって様々な習慣生まれたが、今日では希薄となっている。また、七五三結婚式神社行われるようになったのは明治以後のことで、宗門改め起因するわけではない二宮尊徳1787年 - 1856年)の話をまとめた『二宮翁夜話』という書物には、宗教多元主義を示すような譬え話書かれている世の中本当真理はただ一つしかないが、その真理近づく入り口はいくつもある。仏教神道、あるいは仏教でも天台宗浄土宗浄土真宗禅宗などいろいろあるが、これらは何れも一つ真理到達するための道に付いている沢山の入口の名前に過ぎない例え富士山登るのに、吉田から、須走りから、須山から、それぞれ登れるが、最終的に頂上至れば同じ所である。これを、違う目的到達できる別々の道がある、と考えるのは誤りなのだ。入り口幾つかあっても、最終的に到達する場所は同じ一つの場所なのだ。ところが世の中では、これらを別々な道であると言い真理幾つもあるかのように解釈されがちなのだが、もともと仏教思想紀元前一人ブッダ釈尊によってとかれたもので、そうして顕された沢山の教義のなかから根本経典選び出しそれぞれの宗派分かれて守り伝えていっていに過ぎないのだ。 小説家芥川龍之介1892年 - 1927年)は、日本にいくら宗教根付かせようとしても無理なのは、日本古来から「八百万の神」を崇める神道などに見られる独特の宗教観を持つからで、釈迦イエス・キリスト日本にくれば神々一人という扱いになる、といった主旨のことを短編小説神神の微笑」の中で登場人物に語らせている。また同時に日本人海外思想変化加えて自分のものにする様子を「造りかへる力」とも表現している。 小説家井沢元彦1954年 - )は、日本には無意識の強烈な怨霊信仰と、怨霊発生させない「和」への信仰があり、神道その上に成立し仏教結局は怨霊鎮魂するための道具として活用されたと解説している。来日した外国人や、熱心な宗教信者となった日本人は、多く日本人無意識のうちに「和」を至上ものとする思想を持つことを見い出すことができるという。また井沢日本人の持つ「言霊」への特異な信仰見出している。

※この「日本人の宗教観」の解説は、「日本の宗教」の解説の一部です。
「日本人の宗教観」を含む「日本の宗教」の記事については、「日本の宗教」の概要を参照ください。

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