八百万の神
八百万の神
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 09:08 UTC 版)
「アニミズム」、「トーテミズム」、「シャーマニズム」、および「多神教」も参照 日本では古くから[いつ?]、山の神様、田んぼの神様、トイレの神様(厠神 かわやがみ)、台所の神様(かまど神)など、米粒の中にも神様がいると考えられてきた。少なくとも古墳時代には、現在の神社につながる自然崇拝の痕跡がある事が明らかになっていると考えられている。 18世紀の国学者、本居宣長は『古事記伝』で「八百万は、数の多き至極を云(いへ)り」と解釈している。『古事記』では天照大御神が天岩戸に隠れて世界から光が失われた際に八百万の神が集まって相談したという記述がある。『延喜式』の『六月晦大祓』には、八百万の神が相談して皇孫が豊葦原ノ瑞穂ノ国を治めるように決定したと書いてある。 神道は、すべてのものが精神的な性質(人格があるか、擬人化された魂、霊等)を持つと信じるアニミズムの特徴を保持してきたとされる場合がある。動植物やその他の事物に人格的な霊魂、霊神が宿るとするアニミズムは、非人格的な超常現象、超自然的な呪力を崇拝するマナイズム(呪力崇拝)とは区別される。アニミズムはすべてのものに魂があると主張するのに対し、物活論はすべてのものが生きていると主張する:149。一方で本居宣長は神には御霊があるものと霊ではなく自然体の「かしこさ」を神格化したものの二つを挙げている。 特定の氏族、部族が自然現象・自然物や動植物と超自然的関係で結ばれることをトーテムと呼び、南方熊楠は、大物主を蛇トーテムとした。 八万四千の法門の「八万四千」は、仏教で「多数」を意味する語であり、八百の由来とする説がある。他にも八大地獄、八大奈落、八大明王、八大童子、八大菩薩などがあり、八は多くの仏教用語で使用されている。 仏教伝来時に発生した崇仏・廃仏論争において物部尾輿・中臣鎌子らは「我が国の王の天下のもとには、天地に180の神がいます。今改めて蕃神を拝せば、国神たちの怒りをかう恐れがあります」と反対、私的な礼拝と寺の建立が認められた。しかし直後に疫病が流行し物部・中臣氏らは「仏神」のせいで国神が怒っているためであると奏上。欽明天皇は仏像の廃棄、寺の焼却を黙認したという。神仏習合が進んだものの、斎宮には仏教に関する禁忌が存在した。 中央集権化に伴い、神に対して人間の位階に相当する神階を奉授する神階制が成立した。
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