日本の革命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 06:11 UTC 版)
日本の革命(にほんのかくめい)は、日本における革命、またはその議論。「革命」の定義や観点などにもより、多数の議論がある。
- ^ Company, The Asahi Shimbun. “「革命」のない国日本~日本の歴史の継続性 - 榊原英資|論座 - 朝日新聞社の言論サイト”. 論座(RONZA). 2023年3月16日閲覧。
- ^ a b 日本的革命の哲学 - 山本七平
- ^ 活学としての東洋思想(安岡正篤)
- ^ 天皇制の深層(上山春平)朝日新聞社 p178
- ^ 朝河貫一とその時代(矢吹晋)花伝社、2007年、p295
- ^ ただし織田信長に関しては朝廷との関係は融和的だったとする説が現在では有力である
- ^ 「日本史のなぞ - なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか」(大澤真幸、朝日新聞社)
- ^ 言うまでもなく革命が起きた国で倒された側の一族がこのような厚遇を受けることはあり得ない
- ^ 明治維新とフランス革命(小林良彰)三一書房 372p
- ^ 最終戦争論 第3章 - 石原莞爾
- 1 日本の革命とは
- 2 日本の革命の概要
- 3 関連項目
日本の革命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 06:20 UTC 版)
詳細は「日本の革命」を参照 中国大陸は易姓革命も含めて多くの革命を経験しており、また朝鮮半島やベトナムでも易姓革命や近代以後の革命は起こっているが、それらに比して日本では、有史以来革命が起こったことがないとされている。政権の交代はしばしば発生したが、天照大神(神武天皇)以来の皇統を受け継ぐとされる天皇が最高の権威者であり続け、実質的な最高権力者でも天皇の臣下(大臣や大連、摂政や関白や太政大臣、征夷大将軍、内閣総理大臣など)という形式を崩さなかったからである。江戸時代の山崎闇斎(『泰山集』)や水戸学の藤田東湖(『弘道館記述義』)のように、日本は天照大神以来の万世一系の皇統を持つ唯一無二の国家であるとして、易姓革命を否定して国粋主義を高揚させる逆説的な論理で用いられることもあった。ただしクーデターや内戦の類とされるものは多数起きており、その中には他国の革命に相当するほどの劇的な政治体制の変化が起きたこともある(大化の改新、平将門の乱、承久の乱、天下布武、明治維新など)。 吉田松陰の思想を背景として起こった明治維新は保守革命ともいわれ、あるいはまた西欧でいうクーデターとは異なる独自の意味として「維新」を考える学説もある(藤田省三、松本健一ら)。またマルクス主義の立場からは、日本共産党などは明治維新を絶対主義の成立とするが、スターリン主義の影響を受けていない潮流はブルジョワ革命とすることが多く、日本資本主義論争などに繋がった。明治維新の英訳語は「Meiji Restoration」あるいは「Meiji Revolution」である。 北一輝らの民族主義ないし国家社会主義的革命理論では、天皇および国体を真正のものへと変革(革命)することが目指された。三島由紀夫も陽明学の影響のもとに、保守革命を企画した。 1945年のポツダム宣言受諾により、日本は天皇の統治を定めた『大日本帝国憲法』を改正し、国民主権を策定することとなった。1946年に宮沢俊義はこの「憲法改正手続き」による主権の移動を、「八月革命」という言葉で形容した。この宮沢の説は主権の移動をともなう日本国憲法の制定を合法的なものとして説明するものであり、1960年代には法学上の通説となった。高見勝利や芦部信喜といった憲法学者は支持しているが、2000年代には批判的に見られている。蓮沼啓介は国会の可決・天皇の裁可により日本国憲法の成立が確実となった1946年10月が「革命」となったとして、10月革命説を唱えている。
※この「日本の革命」の解説は、「革命」の解説の一部です。
「日本の革命」を含む「革命」の記事については、「革命」の概要を参照ください。
- 日本の革命のページへのリンク