日本の竹林
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2019年時点で、日本の竹林総面積は約16万7000ヘクタールと、2017年までの10年間で約8000ヘクタール増えた(林野庁による)。このように竹は日本でごく普通に見られるが、ほぼ全ての種が帰化植物と考えられる。一部の種には日本野生説もあるが、ほとんどは中国原産である。笹は日本産のものが多くあり、地方変異も数多い。モウソウチクを除く種の多くは、その地域でしか生育しないことが多いが、その理由は不明である。 日本での歴史 竹林は、実は、日本古来の植生ではない。 ただし『古事記』や『万葉集』には竹に関する記述があり、日本でもこうした書物が書かれた時代ころには一応書物に登場するようになってはいた。ただし当時の書物に登場する「竹」というのは多くはチシマザサ類を指すものであった。マダケのような現在親しまれている竹類については、一部に自生していたとの説もあるが、仮にそうであっても極めて珍しく、現在のような竹林はほとんどがそれ以降の中国からの持ち込み、栽培を元にしたものであると考えられている。 マダケ類は8世紀頃に持ち込まれ、当時はおそらく貴族の間だけで栽培され、多分に貴族の儀礼等と関係を持っていた。平安時代の初期というのは、天皇であれ貴族であれ日本人というのは中国(当時の東アジアの先進国であり大国であった)の文化を模倣することに躍起になっていた時代であり、桓武天皇も明らかに中国の皇帝を模倣して中国風の衣装や装身具を身につけており、日本の諸制度も中国の諸制度を模倣していた時代であったわけで、当時の日本というのはそういう状態であったので、「竹も中国文化の受容の目的で栽培されていた」との説もある。たとえば『竹取物語』において求婚者が全て貴族であるのも、こうした時代背景が色濃く反映されていると考えることもできる。 日本で竹林が一般に広く見られるようになったのは16世紀以降と考えられている。 (8世紀以降は、あるいは16世紀以降は)竹林は日本人の生活・産業・芸術などに深い関わりを持っている。 天然素材が得られる場所 現在でも郊外などで、平地と里山を結ぶ緩衝地帯などに多くの竹林を見ることができる。日本でも(アジア諸国同様に)竹は貴重な天然素材として多用されており、竹林は竹が大量に得られる場所である。 マダケはその真っ直ぐでしなやかな特性を生かして竹細工、建材、家具、釣竿などに最も多く利用されてきた。大分県のマダケは面積、生産量とも全国一のシェアを占めており、別府市周辺の別府竹細工や日田市の竹箸など、大分県では豊富な竹材を利用した竹工芸が歴史的に盛んである。 なお日本の竹林は世界的な発明にも影響を与えた。京都府八幡市の石清水八幡宮境内の竹林のマダケは、エジソンが1882年白熱電球のフィラメントとして利用したことで知られる。この竹林からは電球発明の翌年から10数年もの永い間、多くの竹がアメリカのエジソン工場に輸出され、炭素白熱電球の生産に利用された。境内にはエジソンの記念碑が建つ。記念碑は中央にエジソンのリレーフを、向かって右側には「The memory of Thomas Alva Edison 1947-1931」と書かれている。 竹林と日本の文化 日本では庭園を構成する要素の一つとしても重宝されるなど、竹林の織り成す景観は日本の風土を象徴するものの一つとなっており、特に京都の寺院や郊外の景観を形づくる要素の一つとして大きな比重を担ってきた。春には竹林に入り、筍を掘るのは日本の風物詩の一つである。また、日本画、水墨画のモチーフとしてもしばしば用いられ、多くの文人墨客が竹林の持つ独自の繊細なイメージから多くのインスピレーションを受けてきた。 また、視覚のみならず、風が竹林を通り抜ける際のざわめきは日本人の耳には心地よく響き、風情を感じさせるものとして俳句や和歌などに歌われ、多くの文学者、画家などの想像力を刺激してきた。旧環境庁の「残したい日本の音風景100選」(京の竹林)にも選ばれるなど、日本人の「音風景」「心象風景」の一つとも言える。
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