改造十円券
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1890年(明治23年)7月26日の大蔵省告示第33号「改造十圓兌換銀行券見本現品熟覽ニ係ル件」により紙幣の様式が公表されている。主な仕様は下記の通り。 日本銀行兌換銀券 額面 拾圓(10円) 表面 和気清麻呂(紙幣面の人名表記は「和氣清麻呂卿」)と猪、兌換文言、発行根拠文言、偽造変造罰則文言 裏面 彩紋、英語表記の兌換文言 印章 〈表面〉総裁之印 〈裏面〉文書局長、金庫局長 銘板 大日本帝國政府大藏省印刷局製造 記番号仕様記番号色 赤色 記番号構成 (製造時期により2種類あり)〈記号〉「第」+組番号:漢数字1 - 3桁+「號」 〈番号〉通し番号:漢数字5桁 〈記号〉「第」+組番号:漢数字3桁+「號」 〈番号〉通し番号:漢数字6桁 寸法 縦100mm、横169mm 製造実績印刷局から日本銀行への納入期間 1890年(明治23年)3月 - 1898年(明治31年)下期 記号(組番号)範囲 「第壹號」 - 「第壹〇五號」(1記号当たり40,000枚製造) 「第壹〇六號」 - 「第壹壹〇號」(1記号当たり900,000枚製造) 製造枚数 8,074,000枚 発行開始日 1890年(明治23年)9月12日 通用停止日 1939年(昭和14年)3月31日 発行終了 失効券 旧十円券には紙幣の強度を高めるためにコンニャク粉が混ぜられていたが、そのために虫やネズミに食害されることが多々あった。また偽造防止対策として、写真に写りにくくするために用いていた薄い青色の顔料には鉛白が含有されており、温泉地などで硫化水素と化合するなどにより黒変することもあった。これにより、かえって偽造が容易になったという指摘もある。以上の技術的欠陥が明らかになったため、これを改良するためにこの改造券が発行された。 偽造防止対策として精巧な人物肖像を印刷することとなり、肖像には1887年(明治20年)に選定された日本武尊・武内宿禰・藤原鎌足・聖徳太子・和気清麻呂・坂上田村麻呂・菅原道真の7人の候補の中から、改造拾圓券には和気清麻呂が選ばれている。なお、和気清麻呂の肖像は、文献資料や絵画・彫刻を参考にしつつ国学者の黒川真頼などの考証を基に、エドアルド・キヨッソーネが実在の人物をモデルとしてデザインしたものであるが、モデルの人物は維新の三傑の1人とされる木戸孝允とする説と当時の印刷局彫刻部部長であった佐田清次とする説がある。表面の額縁状の輪郭内には肖像の和気清麻呂に因んだ猪が描かれていることから、通称は「表猪10円」であるほか、「表イノシシ札」とも呼ばれる。猪は8頭描かれており、走っているもの、歩いているもの、座っているものなど、様々な生態が描かれている。また旧拾圓券と異なり、英語による兌換文言も裏面に表記されている。図案製作者は旧券と同じくイタリア人のエドアルド・キヨッソーネである。裏面は彩紋模様により装飾された額面金額の数字が左側に配置されている他は英語表記の兌換文言が記載されているのみであるが、地模様などもなく簡素な図柄となっている。 記番号は漢数字となっており、下表のように前期と後期とに分けられる。 タイプ発行開始日組番号範囲通し番号前期 1890年(明治23年)9月12日 「第壹號」 - 「第壹〇五號」 5桁、最大「四〇〇〇〇」 後期 不明 「第壹〇六號」 - 「第壹壹〇號」 6桁、最大「九〇〇〇〇〇」 透かしは「銀貨拾圓」の文字と菊の図柄である。 使用色数は、表面3色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様1色、印章・記番号1色)、裏面2色(内訳は主模様1色、印章1色)となっている。 「兌換銀券」と表記されているが、1897年(明治30年)10月の貨幣法施行および兌換銀行券条例の改正による銀本位制から金本位制への移行に伴い、以降は金兌換券として扱われることになった。 1927年(昭和2年)2月に制定された兌換銀行券整理法により1939年(昭和14年)3月31日限りで通用停止となった。
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