戦後の経済史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 02:27 UTC 版)
イタリア国内は気候、土壌、高度が地域差に富んでいるため、旧来さまざまな農作物の栽培が可能である。ポー平原を中心に半島全体で冬小麦を産する。半島南部沿岸で野菜と果物が採れる。イタリアは世界有数のワイン生産国であり、オリーブとオリーブ・オイルの生産量も多い。酪農も主要な産業であり、ゴルゴンゾーラ、パルミジャーノ・レッジャーノをはじめ約50種類のチーズが生産される。 第二次世界大戦以降、工業が急速に発展し、農業国から転換した。重要な工業に、繊維工業と、硫酸、アンモニア、水酸化ナトリウムの製造などの化学工業がある。そのほか自動車、鉄鋼、ゴム、重機械、航空機、家電製品、パスタなどの食料品の製造業が盛ん。工業の中心地はジェノヴァ、ミラノ、ローマ、トリノである。 1958年から1963年にかけてイタリアはGDP年率+6.3%のめざましい経済発展を遂げ、1959年5月25日にイギリスの日刊紙がイタリアの経済復興のめざましさを指して「奇跡の経済」と名付けた。1960年代後半から圧迫されてきた膨大な財政赤字を立て直した。しかしモンテディソンをめぐるスキャンダルをはじめとして、イタリアの政治経済は混乱していった(#民主化の限界)。 1980年代初頭にはバブル経済を経験し、GDPでECの牽引役を担う存在であり、巨大な植民地大国だったイギリスを抜き世界第5位となったものの、1990年にはまた戻っている。1990年、イタリアの銀行制度は欧州共同体に同調し大幅に変更され、公営銀行の削減、外国資本に対する規制緩和が行われた。以後政府は輸出を活性化させ、研究開発の促進よりも為替相場をリラ安に誘導することを選択した。EMU(経済通貨統合)への第1陣参加を実現するため、1993年から政府は大規模な歳出削減策を継続して実施した。その結果、財政赤字のGDP比は94年の9.5%から99年には1.9%にまで改善され、目標としていたEUの財政基準(3.0%以内)を達成することができた。1990年代半ばには産業復興公社(IRI)が分解され、多くの企業が民営化した。1998年12月31日に1ユーロ=1,936.27リラという交換レートが固定された。法定通貨として長年「リラ」が使われてきたが、2002年1月1日からEUの単一通貨ユーロ(EURO、エウロ)の紙幣や硬貨が流通し、リラは2月末をもって法的効力を失った。 2010年欧州ソブリン危機により、EU各国は財政赤字を対GDP比3.0%以内に抑える基準の達成を迫られた。2014年5月、イタリアは財政赤字のGDP比率を低下させる裏技として、麻薬取引や売春、密輸などの地下経済に着目し、これらを2015年からGDP統計に加算すると発表した。2011年のイタリア銀行による推計では、イタリアの地下経済の規模はGDPの10.9%を占める規模とされている。 IMFによると、2018年のイタリアのGDPは2兆722億ドルである。世界8位であり、EU加盟国ではドイツ、フランスに次ぐ3位である。また、同年の1人あたりのGDPは3万2,747ドルである。
※この「戦後の経済史」の解説は、「イタリア」の解説の一部です。
「戦後の経済史」を含む「イタリア」の記事については、「イタリア」の概要を参照ください。
- 戦後の経済史のページへのリンク