戦国・織豊時代とは? わかりやすく解説

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戦国・織豊時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 22:38 UTC 版)

大友氏」の記事における「戦国・織豊時代」の解説

政親の異母弟・親治(母は親世系大友親隆の娘ではない)が実力内紛鎮め、第19当主の義長を補佐し肥後進出を果たすなどして戦国大名へ飛躍した。 第20代当主・義鑑のときには肥後筑後進出する。しかし天文19年1550年)の二階崩れの変で、義鑑は重臣津久見美作田口鑑親によって殺された。 その跡を継いだのが、キリシタン大名として有名な21当主・義鎮(大友宗麟)である。この頃には立花道雪有能な家臣団存在にも助けられ大友家飛躍的に勢力拡大する天文20年1551年)には大内義隆家臣陶隆房陶晴賢)の謀反大寧寺の変)により死去すると、義鎮は弟の大内義長大内家当主として送り込み北九州の旧大内領はもとより周防長門にも影響力誇った弘治3年1557年)に義長が毛利元就討たれ大内氏滅亡すると、周防長門方面での影響力失ったが、北九州権益大半確保した。さらに義鎮はキリシタン保護し、自らも改宗した。このことにより豊後府内(現大分市錦町顕徳町付近)には日本初西洋式病院設けられるなど、南蛮文化が花開いたが、反面元来より八幡信仰仏教信仰篤い家臣団との不和もたらすこととなったまた、義鎮は弘治2年1556年)頃に臼杵丹生島城本拠地移している。近年の研究ではこれは政庁機能全面的に府内から移転させたものであったとされている。 また、義鎮が早く家督を子の大友義統譲って22当主成したが、これにより天正年間には義鎮・義統の二元政治弊害現れ大友家内部抗争が起こるようになる。 さらに対外戦争でも、元亀元年1570年)の今山の戦い龍造寺隆信に、天正6年1578年)の耳川の戦い島津義久大敗喫した。特に後者大敗では多くの有力武将を失う結果となり、それまで大友氏幕下にあった肥前筑前筑後の国領主が、龍造寺氏秋月氏筆頭次々と謀反反旗を翻し大友氏危機的状況陥る天正12年1584年)、龍造寺隆信島津氏前に戦死すると、筑後方面巻き返しを図るが、今度島津氏侵略を受けることとなり、天正14年1586年)には大友家本国である豊後にまで侵攻され、旧府内の町は焼け野原になることとなった。 しかし、義鎮は当時天下人である豊臣秀吉支援要請して自ら臣従したことにより、秀吉九州征伐開始されることとなり、島津氏豊臣氏との戦いで完敗放逐され根白坂の戦い)、大友家豊臣政権下で存続することとなった。このとき、義鎮の嫡男である義統は秀吉より豊後一国安堵された(義鎮自身にも日向一国安堵されるもこれを固辞)。義統は秀吉から偏諱である「吉」を許され吉統と名を改める。この時家臣であった立花統虎(のちの立花宗茂)が独立し豊臣大名となる。 また、この時期毛利家とも親しくなり、義鎮の娘が毛利秀包筑後久留米)の正室となる(子孫有)。天正15年1587年)の義鎮の死後、義統は文禄の役における敵前逃亡とがめられ文禄2年1593年)に秀吉命令豊後領を改易された。 大友家家督天正20年1592年)に嫡男大友義乗譲り隠居の身であった吉統であるが、秀吉死後慶長5年1600年)に起こった関ヶ原の戦いで、西軍総大将毛利輝元支援され挙兵し海路豊後侵攻し東軍細川忠興らの領地となっていた旧領回復計画する。しかし石垣原の戦いにおいて黒田孝高黒田如水)の軍に敗れて降伏し幽閉の身となった

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戦国・織豊時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/24 13:59 UTC 版)

破城」の記事における「戦国・織豊時代」の解説

抗争中の戦国大名間における和平条件として - 川中島の戦いなど。 いわゆる焦土作戦目的したもの 支配力集中目的したもの 実施主体の例:畿内近国守護戦国大名である越前朝倉氏近江六角氏織田信長豊臣秀吉

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