東軍
東軍
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天狐 雪崩(てんこ なだれ) 詳細は「#天狐雪崩」を参照 頬白 凛々愛(ほおじろ りりあ) 詳細は「#頬白凛々愛」を参照 岸 朝霞(きし あさか) 詳細は「#岸朝霞」を参照 葛城 ミリア(かつらぎ ミリア) 声 - 山下七海 妖狐の女児。狐耳と5本の尻尾が特徴。一人称は「私」。11歳。誕生日は5月15日。血液型はA型。身長126センチメートル、体重31.7キログラム。3サイズはB69-W42-H67。 東京在住。変化の腕はこゆずと互角。狸憑きの最大霊力値は300。霊波紋がそっくりであるという理由から、幽奈が生前の天狐幻流斎と同一人物だと認識する。父は東軍の幹部であり、天狐幻流斎の霊を利用して一族の悲願である天狐一族入りを果たそうと、ゆらぎ荘を訪れる。自分が知る幽奈の生前の記憶を伝えようとするが、御三家の人間であるコガラシと呑子がいることに気づくと、自身の手にあまる事態になるとして断念する。 逢牙の襲撃時は、幽奈たちを天狐家の門に案内する。白叡戦後、天狐家に取り入るために幽奈たちを利用しようとしていたことを打ち明けるが、特に罰せられることもなく受け入れられる。 第2回キャラクター人気投票での順位は16位(75票)。
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東軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 22:31 UTC 版)
徳川家康(身長:165cm / 年齢55歳) 趣味:長生き(健康管理) / 好物:煮物 関東250万石を治める大大名。五大老の筆頭だが、秀吉亡き後の実質的な天下の支配者。東軍総大将であり、三成の宿敵として関ヶ原で激突する。戦場で常に二手三手先を読む「天の眼」の力を自在に操り、西軍を次々と窮地に追い込んでいく。威風堂々とした傑物であり、冷静沈着な現実主義者。傲慢ではあるが、私欲のままに天下を欲しているわけではなく、ある理想を胸に秘めている。 福島正則(身長:180cm / 年齢43歳) 趣味:鍛錬 / 好物:甘いもの 幼少から秀吉に仕えてきた、豊臣家の最古参の一人。かつては戦場で輝かしい戦功を次々と上げていたが、文治派の台頭により活躍の場を奪われ、次第にそれが三成への個人的な恨みに変わっていった。前年、前田利家が死亡すると、家康側に唆され三成を襲撃する。武力一辺倒の猪突猛進な性格で、関ヶ原では宇喜多秀家隊などと激突する。 井伊直政(身長:180cm / 年齢25歳) 趣味:名乗りと登場の仕方の練習 / 好物:おまんじゅう 東軍の武将。赤備えの甲冑に身を包み、正義の使者として己の信じる正義(家康)のために、対する者をすべて悪と断じて、颯爽と戦場に現れる。関ヶ原の戦いでは、先鋒の正則を差し置いて一番乗りを果たす、血気盛んな性格。「闇あるところに光りあり、悪あるところに正義あり」などの決めセリフと、青いマフラーがトレードマーク。 藤堂高虎(身長:183cm / 年齢29歳) 趣味:測量 / 好物:おもち 東軍きっての知恵者。秀吉の死後、家康側について工作活動を行う。関ヶ原では部隊を率いて自ら戦闘に参加する一方で、忍者やくノ一を率い、西軍に対してさまざまな調略や策略を行なう。一見すると覇気のないおどけた性格だが、冷静沈着さと高い観察眼を兼ね備え、家康からの信頼も厚い。「熱くなったら負け」がポリシーで、熱血漢である三成をバカにしている。 細川忠興(身長:183cm / 年齢23歳) 趣味:絵画・舞・茶の湯 / 好物:お茶 東軍の武将。関ヶ原以前の事件で愛妻・ガラシャを亡くすが、その責任が三成にあると思い込み、激しく憎んでいる。本来は妻のために小鳥を贈るような優しい人物。 田中吉政(身長:148cm / 年齢35歳) 趣味:製図 / 好物:お漬物 東軍の武将。お人好しな性格で、三成とは旧知の仲であることから、戦にはあまり積極的ではないが、お目付け役のお勝の方の暴走を止め切れず、いつも振り回される形で戦闘に参加する。お勝の方の目がない時はそっと戦場を離脱するなど、戦国大名らしくない人柄の人物。 お勝の方(身長:157cm / 年齢18歳) 趣味:殿と一緒なら何でも楽しい / 好物:殿が好きなものなら何でも好き 家康の妻。戦意高揚のために従軍したが、夫を思うあまりに、勢い余って最前線に出撃してしまう。持ち前の勇気とひたむきさで常に前進一本槍なのだが、それゆえに周りが見えず、目付け役の田中吉政を始め、周囲の気を揉ませる。 黒田長政(身長:188cm / 年齢28歳) 趣味:武具の手入れ / 好物:イカ 東軍の武将。豊臣家の家臣であるが、義よりも実を取った父・孝高に従い、東軍に参加する。きわめて慎重な性格で、黒田家の立場を守るため、勝利に非常な執念を燃やす。奇抜な前髪と大きな兜がトレードマーク。言葉の端々に「イカ」とつける癖がある。福島らの三成襲撃にも参加していた。 本多忠勝(身長:200cm / 年齢45歳) 趣味:鍛錬と読書 / 好物:お米 家康からの信頼も厚い、徳川家最強の武将。「一度も戦場で傷ついたことがない」といわれるほどの武勇を持ち、三成たちの前に立ちはだかる。家康を心から慕い、その盾としてどんな状況になろうとも、守り抜く努力を惜しまない。 池田輝政(身長:180cm / 年齢32歳) 趣味:坐禅 / 好物:好き嫌いなし 東軍の武将。父の恒興と兄の元助が、小牧・長久手の戦いで自らに課せられた使命を忘れて突出し、討ち死にした挙句、敗戦となってしまったことから、使命に忠実であることにこだわる。非常に義理堅く、主の命令はいかなる事態においても厳守する。あまりにも愚直に任務を徹するため、逆に東軍内でも心配の種となっている。 本多正信(身長:145cm / 年齢63歳) 趣味:ひめよもぎとたわむれること / 苦手:鶏肉と卵が嫌い 家康の家臣。元は鷹匠であるが、謀略の才能を家康に買われて重臣となった。謀略の大半は彼によるものと言われるほどの策略家で、他人の弱みに付け込んで痛めつけることを好む、歪んだ一面も持っている。ひめよもぎという鷹を飼育している。
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東軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 17:41 UTC 版)
徳川家康 関八州を領する大大名で、五大老の筆頭。温厚で律儀な徳人として知られていたが、秀吉の死により内に蔵していた野心の牙を剥く。豊臣家中を揺るがす武断派と文治派の対立に目をつけ、加藤清正や福島正則など武断派の大名を懐柔し、文治派の中心人物である三成との対立を煽って豊臣家を鮮やかに二分させ、反抗勢力を一息に葬るべく関ヶ原の戦いを起こした。千軍万馬戦場を駆け、権謀術数渦巻く乱世をくぐり抜けてきた政治力は当代随一のものであり、その比類なき力を振るって豊臣家からの天下簒奪を目論む。 関ヶ原では開戦前から西軍諸将に入念な調略工作を行い、周到に周到な準備を重ねて東軍の勝ちが確定的になる段階にまで政情を誘導し、ほとんど事務処理を行う感覚で戦場に足を踏み入れ勝利を手にした。「老獪」という言葉を全身で体現したような百戦錬磨の名将。 本多正信 徳川家の譜代大名。元は鷹匠であったが家康にその謀才を高く評価されて抜擢され、無二の謀臣として寵用された。家康という稀代の才物を役者に天下取りの筋書きを考えることに無上の喜びを感じ、巧緻な謀略の数々を家康と共に練り上げ、三成を追い詰めてゆく。三成の腹心で自身と同様の立場にある島左近に対抗意識を持ち、暗殺を試みたこともある。 関ヶ原では世子である秀忠の補佐役として同道し、家康とは別行動をとって西上した。凡庸な秀忠の器量を危惧した家康の配慮であったが、しかし途上において信濃国の小大名・真田昌幸の挑発に秀忠がのせられて足止めを食い、いきり立った秀忠を諌めるものの静止することができず、結局関ヶ原の本戦に駆けつけることができなかった。 加藤清正 豊臣家の譜代大名。少年の頃から秀吉に仕え、数多の戦場を走り回って主人の天下取りを助けた。身骨を削って天下を平定した誇りがあるだけに秀吉の天下が軌道に乗って以降重用された吏僚達の専横に不満を抱き、殊に才知を鼻にかけて武骨な将兵を見下す三成が気に食わず、ことあるごとに衝突した。朝鮮ノ役で活躍して大明にまで知られる軍略の才があり、領主としても優れた行政能力を持つが、生来の気性の激しさから政局を遠望する能力に欠け、三成に対する憎悪を家康に利用されその膝下に引き込まれる。 関ヶ原では家康の命で領国である肥後国に残り、黒田如水らと連携して九州の西軍大名を抑えた。 藤堂高虎 伊予国に領地を持つ大名。元は秀吉の弟の秀長に仕える身であったが、優れた武略を秀吉に買われて大名に取り立てられた。しかし半生の間に六度も主君を変えた男で、秀吉によって引き立てられた身でありながら早々に豊臣家の行く末を見限り家康に接近した。露骨な媚態を見せて太鼓持ちのようにへり下り、さながら家康の走狗となって諜報活動と調略工作に従事した。 これらの功績により関ヶ原の後には伊勢国に大領を与えられ、その家系は外様大名ながらも徳川政権下で別格の扱いを受けて存続することとなる。 福島正則 豊臣家の譜代大名。加藤清正と同様に少年時代から戦場を奔走して秀吉の立身を支え、その剽悍さで天下に広く武名を轟かせた。戦場を疾駆すれば無類の猛将ではあるもののしかし思慮は浅く、単純勁烈な猪武者の典型といえる性格。激情家であるだけに豊臣家への想いは忠烈であるが、三成が幼い秀頼を騙して天下の実権を握ろうとしていると家康に吹きこまれたことにより、東軍に力を貸すこととなる。 家康は豊臣家の譜代筆頭であるこの荒大名を手懐けることで諸侯の心を掌握しようと考え、様々に心を砕いてその歓心を得ることに努めた。小山評定では諸将が挙措に迷う中で率先して家康の支持を表明し、評定の行方を決定づけた。前哨戦では先鋒隊として家康の本隊に先んじて西上して活躍し、本戦でも猛将の名に恥じぬ奮闘をした。第一等の軍功を上げて東軍の勝利に貢献するものの、秀頼の行く末を願ったその行いは、図らずも家康の天下を固めて豊家の没落を招くこととなる。 山内一豊 遠江国掛川の大名。元は織田家の平侍で、とりたてて才覚があったわけではないが地道に戦働きをして立身を重ね、秀吉の政権下で小身ながらも大名となる。秀吉はその実直で篤実な働きぶりを評価し、東海道筋に信頼の置ける大名を配置する戦略の一環として一豊に掛川城を与え、関東の家康への対抗勢力として抜擢した。しかし秀吉の死後、豊臣家の前途を見限って家康に随従して家運を開くことを考えるようになる。 小山評定では、懇意の大名・堀尾忠氏がうっかり漏らした妙策を勝手に拝借し、家康に忠誠を誓う証として領地と城を明け渡すことを申し出、一豊のこの言葉に海道筋の大名が我も我もと相乗りすることとなる。一豊の発言に狂喜した家康は、関ヶ原本戦で軍功が全く無かったにもかかわらず、戦後一豊に土佐一国を与えて一躍国持大名に取り立てた。
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東軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 19:25 UTC 版)
「魔法少女プリティ☆ベル」の記事における「東軍」の解説
日本を含めたアジア全体を領土とする王制国家。高性能な魔術機械を多数所持し、少数ながら精強な軍備。
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