川中島の戦いとは? わかりやすく解説

かわなかじま‐の‐たたかい〔かはなかじま‐たたかひ〕【川中島の戦い】


川中島の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 10:25 UTC 版)

川中島の戦い(かわなかじまのたたかい)は、日本戦国時代に、領土拡大を目指し信濃国(現在の長野県)南部や中部を制圧し、さらに北信濃に侵攻した甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である武田信玄(武田晴信)と、北信濃や信濃中部の豪族から助けを求められた越後国(現在の新潟県)の戦国大名である上杉謙信(長尾景虎)との間で、主に川中島で行われた数次の戦いをいう[1][2]。双方が勝利を主張した。


注釈

  1. ^ 『甲陽軍鑑』は近世初頭の元和年間に原本が成立した軍学書で、武田流軍学の聖典として武田側の視点から川中島合戦をはじめ信玄期の事績が数多く記されている。原本は春日虎綱(高坂昌信)の口述とされ内容については文書・記録資料上の事績と符合する部分もあるものの文書から確認されない事績や年紀・人物比定の誤りなどを数多く含むため、史料性については慎重視されている。一方で甲陽軍鑑は類書を含めて近世社会において広く普及し、現在にいたるまで川中島合戦の具体的イメージを形成した影響力を持っている。
  2. ^ 『勝山記』は富士北麓の常在寺の僧により記された年代記で、富士北麓・郡内地域の地域情勢を中心に政治・外交的な記述を多く含み、同時代の記録資料として注目されている。
  3. ^ 山本勘助は『甲陽軍鑑』において武田家の軍師的人物として描かれる武田氏の足軽大将で、甲州流軍学の教本となった『軍鑑』では特にその活躍が描かれている。一方、確実な文書においてはその名が見られないことからその実在性や『軍鑑』における活躍には疑問視もなされているが、戦後には「市河文書」や勘助に比定される可能性のある「山本菅助」が第三次合戦において使者を務めており、さらに2009年に発見された「真下所蔵家文書」においても「菅助」文書が確認され注目されている[18]。「山本勘助」については平山優『山本菅助』講談社、2006年。 上野晴朗; 萩原三雄 編『山本勘助のすべて』新人物往来社、2006年。 を参照。
  4. ^ 実際のキツツキはこのようなエサの取り方はしないが、当時はそう信じられていた。
  5. ^ 永禄3年(1560年)5月、今川義元桶狭間の戦いで尾張の織田信長に討たれ、今川氏今川氏真へ当主交代する。これに伴い三河国岡崎では松平元康(徳川家康)が自立するなど、国衆の反乱が相次いだ(遠州忩劇[26]。ただし、信玄が織田氏との関係を強めた本来の意図は信長の美濃進出で武田氏と織田氏の勢力圏が接したことによる衝突を避ける目的で、今川氏を標的とするものではなかったとみられている[27]
  6. ^ 義信は永禄10年10月19日に死去し、永禄11年11月には氏真の要請で義信正室が駿河へ帰国した[28]
  7. ^ 信玄による今川家臣の内応工作により、今川・上杉間の交渉が露見した[30]

出典

  1. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)。1541年(天文10)6月に家督相続した武田信玄は信濃へ出兵、10年くらいの間に信濃の豪族を次々破り、その中の村上義清小笠原長清らは越後の上杉謙信に救援を求めた。
  2. ^ 上杉謙信と戦国越後 義に生きた希代の戦国武将 新潟文化物語 新潟県文化振興課。上杉謙信と武田信玄、川中島で向かい合ったのは1553年、すでに武田信玄は信濃の南部、中部を手に入れており、北信濃を落とせば信越国境に迫ることになる。
  3. ^ 平山優『戦史ドキュメント 川中島の戦い』上、下(学研M文庫、2002年)
  4. ^ 飯富左京亮は飯富虎昌の子か。
  5. ^ 『勝山記』天文24年条。なお、このときの援軍には鉄砲300挺、弓800張が動員されたと記されており、武田氏の合戦において初めて鉄砲の使用が確認される記事である。
  6. ^ 『戦武』436 - 448号
  7. ^ 『勝山記』
  8. ^ 『歴代古案』『上越市史』 - 134号
  9. ^ 『戦国遺文武田氏編』507、508号
  10. ^ 『戦武』533-548号
  11. ^ 『上越市史』別編(上杉氏文書集)145 - 148号
  12. ^ 。なお、市河藤若に晴信上意を伝える使者として山本菅助が派遣されている(市河家文書)。山本菅助については後述。
  13. ^ 『戦武』564 - 571号
  14. ^ 『上越』152 - 154号、なお「上野原」は長野市上野に比定されると考えられている。
  15. ^ 『戦武』 - 586号
  16. ^ 『戦武』 - 609号
  17. ^ 丸島 2008.
  18. ^ 海老沼真治「群馬県安中市真下家文書の紹介と若干の考察-武田氏・山本氏関係文書-」『山梨県立博物館研究紀要』3号、2009年。 
  19. ^ 【換暦】暦変換ツール
  20. ^ コトバンク> デジタル大辞泉> 車懸かりとは
  21. ^ 吉田義信「置賜史談会創立四十周年を迎えて」『置賜文化』第九十二号、置賜史談会、1993年5月29日、3頁、NDLJP:4437714/5 (要登録)
  22. ^ a b 西川広平「幻の川中島合戦」『大河ドラマ特別展風林火山』NHK・NHKプロモーション、2007年
  23. ^ 前嶋敏「謙信・信玄と〈川中島の戦い〉」『川中島の戦い 上杉謙信と武田信玄』新潟県立歴史博物館、2017年
  24. ^ 村石正行『検証 川中島の戦い』吉川弘文館、歴史文化ライブラリー588、2024年 ISBN 978-4-642-05988-6 P188-194.
  25. ^ 丸島 2008, p. 37.
  26. ^ 丸島 2008, pp. 37–40.
  27. ^ 丸島和洋「武田氏から見た今川氏の外交」(初出:『静岡県地域史研究』5号(2015年)/大石泰史 編『シリーズ・中世関東武士の研究 第二七巻 今川義元』(戎光祥出版、2019年6月) ISBN 978-4-86403-325-1) 2019年、P401.
  28. ^ a b 丸島 2008, p. 41.
  29. ^ 丸島 2008, pp. 40–41.
  30. ^ 丸島 2008, pp. 41–42.
  31. ^ 山室恭子『群雄創世紀』(朝日新聞社、1995年)
  32. ^ 栗岩英治『飛翔謙信(田中武夫編)』の中で、地理を知る郷土史家としてはどうにも合点がいかず、これをそのままに放任するわけにはいかない、と難色を示した。
  33. ^ 柴辻俊六「川中島合戦の虚像と実像」『信濃』52巻5号、2000年。 を受けて、三池純正『真説・川中島合戦― 封印された戦国最大の白兵戦―』洋泉社、2003年。 で遭遇戦の過程を推理した。
  34. ^ 統率された軍団同士の戦闘では死傷者はそこまで多くならない。被害が増大した部隊は組織的に退却するからである。一般的に死傷者が大幅に増加するのは潰走が始まり指揮命令系統が機能しなくなってからか、不意の遭遇により指揮命令系統が確立せずに戦闘が始まった時である。
  35. ^ 田中義成「甲越事績考―川中島合戦―」(『史学会雑誌』1号、1890年)
  36. ^ 北村建信「甲越川中島戦史」(報国学会、1932年)
  37. ^ 渡辺世祐『武田信玄の経綸と修養』(創元社、1943年)
  38. ^ 小林計一郎『川中島の戦―甲信越戦国史―』(銀河書房、1980年)
  39. ^ 柴辻俊六「川中島合戦の虚像と実像」『信濃』52巻5号、2000年。 
  40. ^ 平山優『戦史ドキュメント 川中島の戦い』上・下(学研M文庫、2002年)
  41. ^ 村石正行『検証 川中島の戦い』吉川弘文館、歴史文化ライブラリー588、2024年 ISBN 978-4-642-05988-6 P28.
  42. ^ 紙本着色八曲一双、岩国市指定文化財。画風から17世紀中頃の狩野派の作と推測される。初伝では、川中島の戦いに参加した武田氏の旧臣伴総九郎が描かせたもので、総九郎の曾孫が安芸武田氏に納め、後にその子孫から岩国美術館の前身であるにしむら博物館に寄贈したという(桑田忠親他編集 『戦国合戦絵屏風集成 第一巻 川中島合戦図 長篠合戦図』 中央公論社、1980年、普及版1988年 ISBN 978-4-12-402721-1)。公式サイトの解説
  43. ^ 紙本着色六曲一双、17世紀後半、狩野派の絵師の作と推定される。公式サイトの解説)。この屏風については、高橋修 『【異説】もうひとつの川中島合戦 ─紀州本「川中島合戦図屏風」の発見』(洋泉社<新書y170>、2007年 ISBN 978-4-86248-126-9)に詳しい。
  44. ^ 他に、岐阜・ミュージアム中仙道土佐光起の嫡男土佐光成筆、画像)、山形・米沢市上杉博物館、福井・勝山城博物館、長野県立歴史館、個人蔵2点が確認されている(『大河ドラマ特別展 風林火山 信玄、謙信、そして伝説の軍師』図録、山梨県立博物館2007年4-5月、新潟県立歴史博物館8-9月、大阪歴史博物館10-12月、画像と解説あり)。
  45. ^ 山梨県立美術館ほか主催 『錦絵にみる戦国絵巻 武田信玄の世界』 山梨県立美術館、1988年、p.3。
  46. ^ 小林計一郎 酒井雁高 『浮世絵川中島大合戦』 白文社、1986年4月、ISBN 4-938521-10-5
  47. ^ 渡邉晃 「戦乱の時代の浮世絵─出陳作品を中心として」(太田記念美術館編集・発行 『浮世絵 戦国絵巻~城と武将』、2011年10月、pp.11-12)。





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