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おけはざまのたたかい をけはざま―たたかひ 【桶狭間の戦い】
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桶狭間の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/16 09:45 UTC 版)
桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)は、永禄3年5月19日(1560年6月12日)に尾張国桶狭間で行われた合戦である。
- ^ 小和田哲男 『戦史ドキュメント 桶狭間の戦い』 学研〈学研M文庫〉、2000年、216頁、ISBN 4059010014
- ^ 甲斐国の武田氏は晴信(信玄)期に三国同盟を背景に信濃侵攻を行い、北信地域を巡り越後国の上杉謙信と川中島の戦いを繰り広げているが、信濃に拡大した武田領国は尾張の隣国である美濃に接し、武田と織田氏は永禄初年頃から外交関係を持ち始めていたと考えられている。
- ^ 太田牛一 「今川義元討死の事」『信長公記』より。「この時信長敦盛の舞を遊ぱし候。人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を得て、滅せぬ者のあるべきかとて、螺ふけ具足よこせと、仰せられ、御物具めされ、たちながら御食を参り、御甲をめし候て、御出陣なさる。」
- ^ 甲斐の武田信玄は元亀年間に信長・徳川家康と敵対し、反信長勢力を迎合した将軍義昭に呼応して大規模な遠江・三河侵攻を行っている(西上作戦)。西上作戦は従来から上洛意図の有無が議論され、近年は前段階の駿河今川領国侵攻も含めて武田氏の軍事行動が中央の政治動向と連動したものであることが指摘されている(柴裕之「戦国大名武田氏の遠江・三河侵攻再考」)。
- ^ 小和田哲男『今川義元 自分の力量を以て国の法度を申付く』ミネルヴァ書房<ミネルヴァ日本評伝選>、2004年、239頁、ISBN 9784623041145
- ^ 谷口克広『検証本能寺の変』p27。
- ^ 作家の橋場日月は、両説を加味した上で新説として「別働隊による背後からの奇襲」説を唱えている(出典:『歴史群像』2008年2月号 ASIN: B00117DNI2)
- ^ 但し、大久保忠教の生年は1560年であり、合戦に直接参加していたわけではないことに留意する必要がある。
- ^ 武岡淳彦 『戦国合戦論』 プレジデント社、1981年、ASIN B000J800JY
- ^ 小和田哲男 『戦史ドキュメント 桶狭間の戦い』学習研究社〈学研M文庫〉、2000年、ISBN 4059010014
- ^ 谷口克広 『信長と消えた家臣たち』 中央公論新社〈中公新書〉、2007年、ISBN 9784121019073
- ^ 武田鏡村 『大いなる謎・織田信長』 PHP研究所〈PHP文庫〉、2002年、ISBN 4569578071
[続きの解説]
「桶狭間の戦い」の続きの解説一覧
- 1 桶狭間の戦いとは
- 2 桶狭間の戦いの概要
- 3 参考文献
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