渡辺世祐とは? わかりやすく解説

渡辺世祐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 04:02 UTC 版)

渡辺 世祐
人物情報
生誕 (1874-03-13) 1874年3月13日
日本山口県山口市
死没 1957年4月28日(1957-04-28)(83歳)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 歴史学(日本中世史)
研究機関 東京帝国大学史料編纂掛國學院大學
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渡辺 世祐(わたなべ よすけ、1874年3月13日 - 1957年4月28日)は、日本史学者。明治大学國學院大學教授[1]。学位は、文学博士1919年[2]。山口県平民[3]

経歴

1874年、山口県吉敷郡下宇野令村(現・山口市)生まれ[4]。旧姓は蔵田。山口高校を経て[5][6]1900年7月、東京帝国大学文科大学国史学科を卒業[3][7]熊谷中学校勤務の後[4][8]1903年に「関東ヲ中心トシタル足利時代史」の研究のため、東京帝国大学大学院に進学する[3][9]

1904年から東京帝国大学史料編纂掛(史料編纂所)に勤務[4]1905年からは東京帝国大学文科大学講師として室町時代戦国時代の歴史を講義する[4]1910年からは國學院大學部でも教鞭を取る[4]1915年史料編纂官[3][10]1932年明治大学専門部文科史学科長を兼ねた[11]1936年に史料編纂所を退官[12]後は1939年まで嘱託として身を置いた。1949年から1954年まで明治大学文学部長を務めた他、國學院大學史学会長・文部省史料館評議員・地方史研究協議会第2代会長などの職も務めた[4]

1957年、心臓伝達障害のため死去[13]。葬儀は5月2日に明治大学記念館で文学部葬として行われた[14]

研究内容・業績

人物

家族・親族

渡辺家

山口県東京市小石川区林町[3]
1881年[3] - 没
  • 女・[3](内野仙治に嫁す[3]
  • 男・克彦[3]
  • 女・周子[3]
  • 女・悌子[3]
  • 男・弘毅[3]
  • 男・復三[3]

親戚

著書

  • 稿本石田三成 1907、雄山閣 1929
  • 武蔵武士 八代国治共著 博文館 1913、有峰書店 1987
  • 安土桃山時代史 早稲田大学大版部 1916
  • 豊太閤と其家族 日本学術普及会 1919
  • 室町時代史 日本時代史第7巻 早稲田大学出版部 1926
  • 安土桃山時代史 日本時代史第8巻 早稲田大学出版部 1926
  • 足利時代之研究 関東中心 雄山閣 1926
  • 蜂須賀小六正勝 雄山閣 1929
    明治期の蜂須賀家の当主茂韶侯爵)が、宮中に参内し応接室で待たされたとき、ふと卓上にあった煙草を一本失敬したところ、やってこられた明治天皇がそれに気づかれ、笑いながら「蜂須賀、先祖は争えんのう」と言われたという逸話があり、このことを気にした蜂須賀家が渡辺に依頼した。昭和期の作家海音寺潮五郎は「当時の武家で強盗ばたらきをしていた者は珍しくなかった。渡辺博士ほどの学者が気づかないはずはないのだが、蜂須賀家の依頼もだしがたく、そこを無視したものに違いない」と述べている(「列藩騒動録」講談社文庫)。
  • 史籍の選択法 雄山閣 1938
  • 小早川隆景 川上多助共著 三教書院 1939
  • 豊太閤の私的生活 創元社 日本文化名著選 1939
  • 武田信玄の経綸と修養 創元社 日本文化名著選 1943。新人物往来社 1971
  • 日本中世史の研究 六盟館 1946
  • 社会経済史学 18号(3) 信濃高島藩金沢村小松三郎左衛門磔殺事件・地方史研究社会経済史学 社会経済史学会 1952
  • 諏訪史 第3巻 諏訪教育会 1954
  • 国史論叢 文雅堂書店 1956
  • 正史 赤穂義士 光和堂 1965、新版1992、1998。井筒調策校訂

出典

  1. ^ a b c 『人事興信録 第11版』人事興信所、1937年、p.わ65
  2. ^ 『官報』第2038号、大正8年5月22日、p.516.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『人事興信録 7版』人事興信所、1925年、pp.わ28-わ29.
  4. ^ a b c d e f 20世紀日本人名事典
  5. ^ 明治大学文学部五十年史編纂委員会 『明治大学文学部五十年史』 1984年、66頁
  6. ^ 山口高等学校一覧 自明治30年至明治31年』山口高等学校、1898年、94頁。 
  7. ^ 『東京帝国大学一覧 従明治33年至明治34年』東京帝国大学、1900年12月、p.577
  8. ^ 金港堂書籍株式会社編『庁府県学事職員録 明治34年8月現在』金港堂、1901年10月、p.144
  9. ^ 『東京帝国大学一覧 従明治36年至明治37年』東京帝国大学、1903年12月、p.(16)
  10. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正5年至大正6年』東京帝国大学、1917年3月、p.486
  11. ^ 明治大学百年史編纂委員会 『明治大学百年史』 第四巻 通史編Ⅱ、97頁
  12. ^ 史料編纂所一覧 昭和12年5月』東京帝国大学文学部史料編纂所、1937年、46頁。 
  13. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)31頁
  14. ^ 『明治大学文学部五十年史』 464頁
  15. ^ 平野明夫『三河 松平一族』(新人物往来社、2002年、33頁)
  16. ^ 『明治大学文学部五十年史』 67頁
  17. ^ 吉田松陰に学んだ松下村塾生で最も長生きした、渡辺蒿蔵が萩で暮らした邸宅(渡辺蒿蔵旧宅)




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