南蛮文化とは? わかりやすく解説

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なんばん‐ぶんか〔‐ブンクワ〕【南蛮文化】

読み方:なんばんぶんか

室町末期から江戸初期にかけて、ポルトガル・スペインなどの宣教師貿易商により伝えられ西洋文化医学天文学芸術のほか、鉄砲製造などの諸技術伝えられまた、キリシタン版刊行された。


南蛮文化

読み方:ナンバンブンカ(nanbanbunka)

16~17世紀西洋伝来文化

別名 キリシタン文化


南蛮文化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/14 05:02 UTC 版)

南蛮文化(なんばんぶんか)とは、戦国時代から安土桃山時代にかけての日本文化である。この時期にさかんになった南蛮貿易によるカトリック伝道にともなうヨーロッパ文化の受容をさしており、歴史上、西洋人日本人との最初の接近によって生まれた文化である。世界史的には大航海時代に属し、いわゆる「世界の一体化」における歴史事象の一部をなしている。


注釈

  1. ^ 「コロンブス交換」とは15世紀末葉以降とくに大航海時代に進展した、東半球西半球の間の動植物や文物、食物病原体鉄器をはじめとする諸道具思想宗教等の広範囲にわたる交換を意味する言葉。用語はクリストファー・コロンブスの「新大陸」到達にちなむ。
  2. ^ とくに鉄砲玉をぬきとるような外科手術は従来の日本の医術にはみられないものであった。

出典



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南蛮文化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 05:05 UTC 版)

桃山文化」の記事における「南蛮文化」の解説

詳細は「南蛮文化」を参照 天文18年1549年)のフランシスコ・ザビエル来日伝道ののち、ガスパル・ヴィレラルイス・フロイスグネッキ・ソルディ・オルガンティノアレッサンドロ・ヴァリニャーノなど、多くカトリック宣教師による布教活発化した。宣教師来日南蛮貿易隆盛にともない庶民なかにも南蛮風の衣服身につけるものが現れた。また、一神教教義ヨーロッパにおける一夫一婦制などは、多神教汎神論しかなじみのなかったそれまで日本人には強い衝撃あたえたオルガンティノ永禄10年1576年)、京都教会堂として南蛮寺を建て、また安土には神学校セミナリオ)を建てている。宣教師たちは、セミナリオコレジオ大学)で、神学哲学ラテン語音楽絵画教授したほか、天文学暦学数学地理学航海術医学南蛮流外科)など実用的な知識日本伝えたまた、教会典礼音楽としてグレゴリオ聖歌歌われた。 文物としては、鉄砲油絵銅版画地球儀時計眼鏡西洋楽器オルガン、クラヴォ、ヴィオラ)などがもたらされた。やがて、日本人の手によって「南蛮屏風」も描かれた。上に掲げた狩野内膳南蛮屏風描いている。南蛮屏風は、西洋画影響を受けながらも基本的に日本画法描かれており、商人宣教師まじって黒人奴隷や虎、アラビア馬洋犬、象なども描かれている。「世界地図屏風」や『泰西王侯騎馬図』も広義には南蛮屏風」の範疇属するが、それに対し日本人日本画材料用い西洋風俗画模写した作品知られており、なかでも洋人奏楽屏風』は有名である。また、上述ルイス・デ・アルメイダ豊後国府内ハンセン病患者のための救療院や孤児院設立しこれを機に南蛮医学急速に広がった上述たように金属製活字による活版印刷術は、イエズス会の宣教師ヴァリニャーノによってもたらされ印刷機輸入されて、ローマ字によるキリスト教文学宗教書翻訳日本語辞書日本古典出版などおこなわれた。これがキリシタン版であり、出版され土地の名をとって天草版長崎版などと呼ばれる。特に1592年天草版『平家物語』1593年天草版伊曽保物語イソップ物語)』、1603年長崎版日葡辞書』などはポルトガルローマ字体で出版されたため、当時日本語の音韻忠実に記した貴重な資料となっており、国語学見地からも価値が高い。宗教書には、キリスト教の教理問答解説した1592年天草版ドチリナ・キリシタン』や勧善教訓漢字ひらがなまじりの日本文で記した1599年長崎版ぎゃ・ど・ぺかどる罪人を善に導くの儀也)』、『コンテムツス・ムンジ』などがある。 南蛮人・南蛮文化の渡来は、ただ新し科学的な道具珍奇な物品文物もたらしただけではなくそれまで日本人視野精神になかった地域との遭遇でもあった。そして、古代以来の「インド中国・日本」という三国をもととした世界観打ち破られた。 衣食医療のほか音楽などの面でも南蛮文化は意外なほど浸透しており、今日、最も日本的な文化のひとつとされる茶の湯も、当時にあっては多分に異国趣味要素を含むものと見なされていた。南蛮文化そのもの江戸幕府貿易統制策(いわゆる鎖国政策」)のために短命に終ったが、カルタタバコその後広く普及し、パン・カステラ・カッパ・コンペイトウ・シャボン・ラシャ・ジュバンなどのポルトガル語日常的に用いられ現代日本語にも単語として残っている。

※この「南蛮文化」の解説は、「桃山文化」の解説の一部です。
「南蛮文化」を含む「桃山文化」の記事については、「桃山文化」の概要を参照ください。

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