直江景綱
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直江 景綱(なおえ かげつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。越後国の守護代・戦国大名の長尾氏(上杉氏)の家臣。山東郡(三島郡)与板城城主。長尾為景・晴景・景虎(後の上杉謙信)の3代にわたって仕えた宿老で、奉行職を務め主に内政・外交面で活躍した。また七手組大将の一人として軍事面で活躍することもあった。
- ^ 『直江家由緒』では酒椿斎を景綱の父とし、『御家中諸士略系譜』では景綱本人とするが、同時代史料で景綱が酒椿と称した例はないため、今日の研究者は景綱の号とは見ていない(前島敏「直江実綱・酒椿と長尾景虎政権-『越後過去名簿』の検討を中心に」『新潟史学』60・2008)。酒椿・酒村・景綱の花押についての検討からも、「直江氏系譜」などに見られる入道酒椿齊を景綱本人とする記述は誤りであることが考えられる。(木村康裕『与板町史通史編上巻』P191-192 1999)
- ^ a b 『 越後軍記』(虚構性の強い軍記物)などの江戸時代以降の著作では、上杉謙信の侍女として描かれている。そのため、謙信が登場するドラマ等では「浪」(『風林火山』)、「悠」(『天地人』)、「ふえ」(『武神の階』津本陽)などの名がつけられているが、いずれも創作である。
- ^ a b c 『与板町史 通史編 上巻』「戦国・織豊時代の与板」木村康裕 1999
直江景綱(なおえ かげつな)
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「センゴク」の記事における「直江景綱(なおえ かげつな)」の解説
通称は大和守。上杉家の家臣で謙信が若い頃からの重臣。謙信の死の前に没している。
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