石垣原の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/07 02:23 UTC 版)
石垣原の戦い(いしがきばるのたたかい)は、慶長5年(1600年)9月13日に豊後国速見郡石垣原(大分県別府市)で行なわれた黒田如水(孝高)軍と大友義統(吉統)軍の合戦である。
- ^ a b 小和田哲男『黒田如水-臣下百姓の罰恐るべし-』ミネルヴァ書房、2012年1月。
- ^ a b c d e 三重野勝人「『石垣原合戦』の実像を探る」『大分縣地方史』第186巻、大分県地方史研究会、2002年8月、29-54頁、CRID 1050001337653582208。
- ^ a b 光成準治「関ヶ原前夜における権力闘争:毛利輝元の行動と思惑」『日本歴史』第707号、吉川弘文館、2007年4月、1-19頁、CRID 1520572358891902720、ISSN 03869164、NAID 40015316276。
- ^ 矢島嗣久「田原紹忍親賢について : 大友吉統重臣」『別府史談』第13巻、別府史談会、1999年12月、77-83頁、CRID 1050001337652558848。
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「石垣原の戦い」の続きの解説一覧
- 1 石垣原の戦いとは
- 2 石垣原の戦いの概要
- 3 経歴
- 4 その後・影響
- 5 関連項目
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