いかり‐の‐ひ【怒りの日】
怒りの日
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怒りの日(いかりのひ、ディエス・イレ、Dies irae)とは終末思想の一つで、キリスト教終末論において世界の終末、キリストが過去を含めたすべての人間を地上に復活させ、その生前の行いを審判し、神の主催する天国に住まわせ、永遠の命を授けられる者と地獄で永劫の責め苦を加えられる者に選別するとの教義、思想。または、それが行われる日。その様子については、新約最後の書、幻視者ヨハネによる『ヨハネの黙示録』(アポカリプス)に詳述されている。また、マタイによる福音書25章、第二テサロニケ1章、旧約のイザヤ63章にも記されている。ただし、ミサで用いられるラテン語の詞はトッマーソ・ダ・チェラーノの作詞と考えられ、聖書から直接とられた聖句ではない。
怒りの日
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「エジプト革命 (2011年)」の記事における「怒りの日」の解説
野党勢力は25日の大規模デモ直後より、金曜礼拝には人が多く集まることを狙い、礼拝の行われる1月28日にもデモを実施することを呼びかけ、IAEA前事務局長であり民主化勢力の指導的立場にあったモハメド・エルバラダイも前日にエジプトに帰国し、デモに参加する意向を表明した。また国内の比較的穏健とされるイスラーム主義組織であり、国内最大の野党勢力でもあるムスリム同胞団もこのデモへの支持を表明。こうした動きに当局は警戒の強化を行い、特にカイロ市内各地には軍の特殊部隊が配置された。 28日、インターネット、携帯電話、携帯メールが遮断された。これは政府がサービス停止を命じたとされている。 28日に金曜礼拝が行われたが、その際には靴を履いたままの者が目立った。靴を履いたままでの礼拝は緊急時にのみ許されるという。礼拝終了直後からムバーラク退陣を求める声があちこちで叫ばれ、各地で数千から数万人が集まり、デモが発生した。この行動は後に「怒りの金曜日」と名付けられた。事態弾圧のために軍が出動したが、その一方で鎮圧する側の警官隊の中には命令を拒否したり、制服を脱いで反政府デモに参加する者も現れたり、民衆と握手を交わす兵士の姿も見られた。デモに支持を表明していたムスリム同胞団の幹部ら少なくとも20人が相次いで逮捕された。デモにはサッカー応援団が加わり、警官隊と衝突した。 ムバーラクはカイロ、アレクサンドリア、スエズにおいて午後6時から翌日午前7時までの間、夜間外出禁止令を出し、直後に対象が全土に広げられた。だがデモ隊はこれを無視。警察署や警察車両が放火され、ムバーラクの「独裁の象徴」とされるカイロの国民民主党の本部ビルにデモ隊が放火し、炎上。雄叫びを上げる参加者も現れた。カイロ上空には軍のヘリコプターが旋回し、機関銃を搭載した軍の装甲車が市街に十数台展開するなど戦場の様相を呈し、無政府状態となった市内では略奪行為も相次いだ。 この日のデモは、これまでの中で最大規模のものに発展し、この日だけで死者は38人、負傷者は1,000人を数えた。こうした中で与党内部からも、大統領に対して大胆な改革を行うよう求める声も出始めた。
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怒りの日
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「レクイエムハ短調 (ケルビーニ)」の記事における「怒りの日」の解説
Dies iræ(ディエス・イレ) アレグロ・マエストーソ、ハ短調、4分の4拍子 前2曲の静けさから一転し、「怒りの日」は力強く大きな展開を見せ、一気に緊張感が出てくる。「怒りの日」を告げる金管楽器が豪壮に鳴らされ、タムタムの不気味な強打によって、強い印象がもたらされると迫力ある合唱が続き、2回繰り返され、「救い給え」のメロディーで和む。次にヴァイオリンを伴ったソプラノにより「思い起こし給え」が歌われる。この優美なこの歌はテノール、ソプラノ、バス、ソプラノと受け継がれ、やがて4部合唱となる。速度が徐々に早まり、さらに、激しい展開となり裁きの火の恐ろしい業火が描写される。主の憐れみを乞うかよわい呼び声がこだまする。やがてラルゴで「嘆きの日」がしみじみと歌われる。最後は落ち着きのある結末で締めくくられる。
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怒りの日 (Dies iræ)
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「レクイエム」の記事における「怒りの日 (Dies iræ)」の解説
Dies iræ, dies illa solvet sæclum in favilla: teste David cum Sibylla Quantus tremor est futurus, quando judex est venturus, cuncta stricte discussurus. 怒りの日、その日は ダビデとシビラの預言のとおり 世界が灰燼に帰す日です。 審判者があらわれて すべてが厳しく裁かれるとき その恐ろしさはどれほどでしょうか。
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