建設担当
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 09:01 UTC 版)
上越新幹線はそれまでの新幹線と異なり、初めて日本鉄道建設公団(以下、公団と略す)が担当することとされた。このため塩沢トンネルも公団が担当して建設することになった。公団ではこの上越新幹線の工事にあたり、大宮起点126 km330 m地点(月夜野トンネル出口付近)より北側を担当するために新潟新幹線建設局を設置した。
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建設担当
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 07:11 UTC 版)
東海道新幹線の大阪側での建設を担当していた大阪幹線工事局は、工事を終えると1965年(昭和40年)3月1日に大阪第二工事局と改称され、山陽新幹線に関する調査と近畿地方や中国地方の改良工事を担当するようになった。やがて山陽新幹線の建設が本格的に始められることになり、1966年(昭和41年)7月1日に山陽新幹線工事局と改称された。そして岡山 - 博多間を着工するにあたって、1969年(昭和44年)9月21日に広島新幹線工事局が開設されたことから、山陽新幹線工事局は大阪新幹線工事局に改称され、以降新大阪 - 岡山間の完成まで工事を担当することになった。 大阪新幹線工事局の下に多数の工事区が設置されて実際の建設作業に当たり、六甲トンネルに関しては西宮、御影、神戸の3つの工事区が担当した。
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建設担当
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:37 UTC 版)
「関門トンネル (山陽本線)」の記事における「建設担当」の解説
関門トンネルの建設は、基本的に鉄道省およびその後継省庁の直轄施工で行われ、下関側の取付トンネルおよび門司側の取付トンネルのうち開削工法を採用した区間についてのみ請負で実施した。工事実施のために1936年(昭和11年)7月15日に下関改良事務所が設置され、以降1939年(昭和14年)8月30日に下関工事事務所、1942年(昭和17年)11月1日に下関地方施設部と順次改称された。その傘下で、下関側からの工事を担当したのが弟子待出張所、門司側からの工事を担当したのが小森江出張所である。請負に付された下関側取付トンネルは間組、門司側取付トンネル開削工法区間は大林組がそれぞれ担当した。
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建設担当
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/22 04:51 UTC 版)
1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化に際して、それまで国鉄が保有してきた新幹線は新幹線鉄道保有機構が保有することになり、各JRは機構に対して線路使用料を払って線路を借り受けて使用することになった。これにより、国鉄が一部施工していた東京 - 上野間の東北新幹線の設備についても新幹線鉄道保有機構が承継することになった。このため東京 - 上野間の建設主体は新幹線鉄道保有機構とされたが、建設に当たっては在来線の支障移転や東京駅・上野駅の接続工事など、設計・施工に関する協議や調整をJR東日本と行う必要があることから、JR東日本に建設を委託することが効率的であると判断され、実際の施工はJR東日本に業務委託され、同社の東京工事事務所と東京電気工事事務所が施工に当たった。 なおその後、JRの経営基盤の強化や国鉄長期債務の返済、純民営化の推進等を目的として、新幹線鉄道保有機構の保有する新幹線設備はJR各社に売却されることになり、東京 - 上野間の開業後まもない1991年(平成3年)10月1日付で実行された。これによりJR東日本がこの区間について所有も運営も行うことになった。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 13:05 UTC 版)
「中山トンネル (上越新幹線)」の記事における「建設担当」の解説
上越新幹線はそれまでの新幹線と異なり、初めて日本鉄道建設公団(以下、公団と略す)が担当することとされた。このため中山トンネルも公団が担当して建設することになった。公団ではこの上越新幹線の工事にあたり、大宮起点126 km330 m地点(在来線の水上駅付近)より南側を担当するために東京新幹線建設局を設置した。その下で実際に中山トンネルの建設を担当したのは、高山鉄道建設所である。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:45 UTC 版)
山陽新幹線工事の内、小瀬川(広島・山口県境)から博多駅までの区間を国鉄下関工事局が担当して施工することになった。その下に、北九州トンネル付近を管轄する工事区として戸畑工事区と八幡工事区が設置されて担当した。このうち戸畑工事区は北九州トンネルの3工区のみを担当しており、八幡工事区は北九州トンネルの博多方1工区に加えてそれより博多側の明かり区間も担当した。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:45 UTC 版)
山陽新幹線の岡山 - 博多間の建設にあたり、中国支社の地方機関として1969年(昭和44年)9月21日に広島県内の工事を担当する期間として広島新幹線工事局が設置され、その管轄下で工事が行われた。なお広島新幹線工事局は山陽新幹線開業に伴い使命を終えて1975年(昭和50年)9月30日限りで廃止となった。安芸トンネル区間については広島新幹線工事局の下で、入口側に黒瀬工事区、出口側に海田工事区がおかれて管轄した。
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建設担当
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:44 UTC 版)
東北新幹線の建設は、日本国有鉄道(国鉄)本社新幹線建設局が担当した。その中で赤羽台トンネルを含む区間は東京第三工事局の管轄で、実際に担当したのは北・板橋工事区である。北・板橋工事区の管内には工事着手上の難問が山積していたこともあり、きめ細かな対応を実施するために1983年(昭和58年)10月1日に北・板橋工事区から赤羽台工事区が分離新設され、以降赤羽台工事区が赤羽台トンネルの区間を担当した。工事を請け負ったのは、起点側が清水建設、終点側が戸田建設であった。
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建設担当
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:40 UTC 版)
東北新幹線は、国鉄本社の新幹線建設局が担当して施工した。上野 - 大宮間は東京第一工事局、東京第二工事局、東京第三工事局の分担で施工されたが、第2上野トンネルの区間は東京第一工事局の担当であった。
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