鉄道省・国鉄時代
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1929年東京帝国大学を卒業して鉄道省へ入省し、鉄道技手となる。1931年3月13日に9歳年下の山下玉子と結婚。1933年に鉄道技師へと昇格し、その後日本各地でトンネルや橋梁建設にたずさわり、中国大陸でも橋梁の修繕を行った。1949年に国鉄(現・東日本旅客鉄道)信濃川発電所の建設を担当した信濃川工事事務所の所長に就任。そこで魚沼線建設を国鉄に陳情していた田中角栄と知り合い、親交を深めることとなる。1952年に国鉄理事・技師長に任命されるが、1955年、新幹線建設を巡り当時総裁であった十河信二と対立し、技師長を島秀雄に譲り建設担当常務理事となる。1958年任期を満了したため国鉄を退職し、日本交通技術株式会社社長に就任する。しかし、1963年に国鉄総裁に就任した石田禮助からの強い要請により、国鉄に復職し再び技師長となった。1969年、石田が総裁を退任すると同時に国鉄を退職し、日本交通技術の社長に復職した。
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