山体崩壊
さんたい‐ほうかい〔‐ホウクワイ〕【山体崩壊】
山体崩壊
山体崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 06:52 UTC 版)
「1888年の磐梯山噴火」の記事における「山体崩壊」の解説
小磐梯を消滅させた山体崩壊は、崩壊部分のボーリング調査の結果、滑りやすい性質の凝灰岩層をすべり面として山体が崩れたものであったと考えられている。 小磐梯が崩壊した跡には、南北約2キロメートル、東西1.5~2.1キロメートル、深さ100~400メートルの馬蹄型カルデラが出来た。なお馬蹄型カルデラの北側については、岩屑なだれが流下した方向に当たるためにカルデラ壁は無い。カルデラ壁は垂直に近く崩れやすいため、噴火直後から崩落が続いている。 馬蹄型のカルデラの北部から、桧原湖南岸付近までの約3キロメートル、幅約600メートル、深さ約40~80メートルの、アバランシュバレーと呼ばれる谷底が平らな箱状の谷が形成されている。このアバランシュバレーは山体崩壊による岩屑なだれが山肌を削ったか、または地すべりを誘発させたことによって形成されたものと考えられている。 岩屑なだれは時速約80キロメートルで山麓へ向けて流れ下ったと考えられている。岩屑なだれは山麓を流れ下って磐梯山山頂部から北側から北東側にかけて約34平方キロメートルの範囲に扇形に広がり、長瀬川やその支流の谷を埋め尽くした。最も長距離を流れたものは北側に約15キロメートル流れ下った。主流はアバランシュバレーを通って長瀬川の上流方面へ向かったと考えられ、アバランシュバレーの延長線上に分布する流れ山の規模や密度は特に大きい。岩屑なだれの主流が長瀬川の上流方面に流れ下ったため、長瀬川の上流部は最も厚い堆積物で堰き止められることになり、その結果として最も大きな桧原湖が形成された。更に岩屑なだれは長瀬川の支流の小野川を堰き止めて小野川湖、同じく長瀬川支流の中津川、大倉川を堰き止めて秋元湖が形成された。また、岩屑なだれの堆積地は起伏に富んでおり、低い場所には水が溜まり、五色沼などの小湖沼が数多く形成されることになった。 なお、山体崩壊は火山の噴火だけではなく、地震等によっても誘発される。噴火による山体崩壊の岩屑なだれと非火山性のものとは、流動性に違いがあるとの研究があり、1888年の磐梯山噴火時の岩屑なだれの性質は、噴火によるものとよく合致しているとの分析結果がある。 岩屑なだれが流れ下り、堆積した磐梯山北麓には広い範囲に流れ山が分布している。流れ山は陸地ばかりでなく、桧原湖、小野川湖、秋元湖などの湖底にも分布している。流れ山の大きさは底部が数十メートルから200メートル程度、高さは数メートルから20メートル以下のものがほとんどである。また山体崩壊の岩屑なだれは、応力が低下するにつれて急速に粘度が上昇する、非ニュートン流体、チキソトロピー的な性質が知られている。そのため自然堤防、側端崖、末端崖といった地形を形成するが、磐梯山の北麓でははっきりとした自然堤防、側端崖、末端崖は確認できない。これは1888年の磐梯山噴火における岩屑なだれは、チキソトロピー的性質が薄かった可能性や、噴火以前の原地形の影響を受けた可能性が指摘されている。
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山体崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:48 UTC 版)
その後、約8,000 - 7,000年前に山体崩壊が発生し、南麓で岩屑なだれが発生した(善光寺岩屑なだれ)。岩屑なだれは大小の流れ山を作った他、内浦湾にも流れ込み有珠湾を形成した。また、有珠山本体には南開きの馬蹄形カルデラ(有珠外輪山)が形成された。以後火山活動はなく、江戸時代まで活動を休止したと考えられている。
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