ボーリング
ボーリング調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:37 UTC 版)
「関門トンネル (山陽本線)」の記事における「ボーリング調査」の解説
トンネルの建設前に、関門海峡の海底に対してボーリングにより地質調査を行った。ボーリング作業は、水深が浅い場所では海底に杭を打ち込んで海面上に足場を仮設し、その上にボーリングマシンを据えて実施した。水深が深い場所では、従来は船やポンツーン上にボーリングマシンを据え付け、作業位置に錨を入れて固定して実施していたが、関門海峡の潮流は激しく到底1か所に浮足場を固定することはできなかった。そこで空気タンクを備えた鉄筋コンクリート製の櫓を建造し、タンクに圧縮空気を入れたときは海上に浮きあがって目的地まで船で曳航することができ、タンクから空気を抜くと海底に着底して櫓の上部が作業用の足場となるようにした。高さは約20メートル、重量約480トンある櫓で、1か所でのボーリング作業完了後は海峡の海流が向きを変える(転流する)時間帯を見計らって空気タンクに空気を送り込んで浮上させ、新たな作業地点へ曳航した。櫓は三菱造船彦島工場で製作された。作業に使ったボーリングマシンは、スウェディッシュ・ロック・ドリリング製のクレリウス式A-B型で、当初は日本国外から雇い入れた技術者の指導を仰いでボーリングを行った。 1919年(大正8年)から1920年(大正9年)にかけての調査では、田ノ首 - 新町線の計画経路に沿って4か所のボーリング調査を行った。続いて1927年(昭和2年)3月23日から1929年(昭和4年)7月20日までかけて、大正時代の調査とはやや異なる経路で19か所におよぶボーリング調査を行った。さらに1935年(昭和10年)8月13日から11月28日にかけて、弟子待 - 小森江線の経路を調査するため、下関側陸上2か所、海底7か所、門司側陸上6か所の合計15か所でボーリング調査を行った。この際海底ボーリングには、前回の調査後宇部沖ノ山炭鉱に譲渡されていた櫓を借り受けてきて使用した。この際は、田ノ首 - 新町線との比較であったため、実際の弟子待 - 小森江線経路上での海底ボーリング調査は4か所であった。
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