寛仁親王
寬仁親王
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寬仁親王(ともひとしんのう、1946年〈昭和21年〉1月5日 - 2012年〈平成24年〉6月6日)は、日本の皇族。身位は親王。敬称は殿下。お印は柏(かしわ)。勲等は大勲位。
- ^ たとえば髙橋の場合、本来は「髙」(はしごだか)表記であっても新聞では『高橋』としている(但し注釈で「はしごだか」などと付け加える)。
- ^ 「寛仁さま 東海からも悼む声=中部」『読売新聞』2012年6月7日中部朝刊31頁参照。
- ^ 「在りし日の御日常 不幸な人々に慈しみ 御霊まいりに明け暮れ」『朝日新聞』昭和26年(1951)5月18日1面
- ^ 1977年(昭和52年)4月1日放送 テレビ朝日「徹子の部屋」
- ^ 三笠宮家の寛仁さま逝去 66歳、ヒゲの殿下 - 日本経済新聞 2012年(平成24年)6月6日
- ^ 三笠宮寛仁さま 喉の軟骨の切除手術へ - 日テレニュース24 2012年(平成24年)2月29日
- ^ 三笠宮寛仁さま、首の患部から2度出血 - 日テレニュース24 2012年(平成24年)6月4日
- ^ 三笠宮寛仁さまの死因は多臓器不全~宮内庁 - 日テレニュース24 2012年(平成24年)6月6日
- ^ 「SIAニュース」115号
- ^ a b c 三笠宮家のご活動 - 宮内庁。
- ^ “寛仁ひげ殿下「不良の魅力」酒もタバコも高校生からやってたよ”. ワイドショー通信簿. J-CAST テレビウォッチ (2012年6月7日). 2012年6月8日閲覧。
- ^ a b c 月刊ラジオパラダイス(三才ブックス)1987年4月号特集「深夜放送20周年ぐらふぃてぃ」34頁より。
- ^ 『ラジオライフ』第2巻第5号、三才ブックス、1981年7月1日、20頁。
- ^ A Font of Commentary Amid Japan’s Taciturn Royals - ニューヨーク・タイムズ 2007年(平成19年)10月20日
- ^ 読売新聞 1981年(昭和56年)11月6日他
- ^ 週刊新潮 2007年(平成19年)4月26日号
- ^ 瑶子女王殿下の記者会見の内容 - 宮内庁オフィシャルサイト 2003年(平成15年)10月23日
- ^ 著書に『悪童殿下 愛して怒って闘って寛仁親王の波瀾万丈』(幻冬舎、2013年)がある
寬仁親王
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寬仁親王は、自身が会長を務める福祉団体「柏朋会」の会報で、「プライヴェート」な形式と断った上で「歴史と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更して良いのか」と女系天皇への反対姿勢を表明した。 寬仁親王は「万世一系、125代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代・神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実」と主張し、「陛下や皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりません」「国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、2665年の歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か、『天皇』はいらないという議論にまで発展するでしょう」と結んで、女系天皇容認の動きにこれまでの歴史と伝統を尊重しないとする強い懸念を表明した。また、男系継承を維持するための方法として、歴史上実際に取られたことのある以下の4つを挙げている。 皇籍離脱した旧皇族を皇籍に復帰させる。 皇族女子(内親王および女王)に旧皇族の男系男子から養子を取れるようにし、その方に皇位継承資格を与える。 廃絶になった秩父宮や高松宮の祭祀を、伏見宮家の子孫である旧皇族の男系男子が継承し、宮家を再興する。これは、明治時代に現皇室の祖先である光格天皇の実家である閑院宮家が絶えた際、伏見宮家から養子を迎え継承した先例があり、何も問題がなく、最も順当な方法である。 昔のように「側室」を置く。自分(寬仁親王)としては大賛成だが、国内外共に今の世相からは少々難しいかと思う。 また、寬仁親王は皇位継承問題について「三笠宮一族は、同じ考え方であるといえる」と、父・三笠宮崇仁親王と母の百合子妃も歴史と伝統に反する皇室典範改正に反対していることを初めて明らかにした。また、寬仁親王は、崇仁親王が2005年10月、宮内庁の風岡典之次長を呼んで、皇室典範改正に向けた拙速な動きに強く抗議したことを紹介した。また、皇室典範改正は「郵政民営化や財政改革などといった政治問題をはるかに超えた重要な問題だ」と指摘するとともに、自身の発言に対して宮内庁の羽毛田信吾長官らが「正直、困ったな」「皇族の立場を改めて説明する」などと重ねて憂慮を表明していることに関しては、「私がこういうインタビューに応じたり、かなり積極的に発言しているのは国家の未曾有の大事件と思うので、あえて火中の栗を拾いに行っているような嫌いがあります」と述べ、女系天皇容認の動きに対抗する意思を明確にした。
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