寛仁親王とは? わかりやすく解説

寬仁親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/10 13:14 UTC 版)

寬仁親王(ともひとしんのう、1946年昭和21年〉1月5日 - 2012年平成24年〉6月6日)は、日本皇族身位親王敬称殿下お印(かしわ)。勲等大勲位


  1. ^ たとえば髙橋の場合、本来は「髙」(はしごだか)表記であっても新聞では『高橋』としている(但し注釈で「はしごだか」などと付け加える)。
  2. ^ 「寛仁さま 東海からも悼む声=中部」『読売新聞』2012年6月7日中部朝刊31頁参照。
  3. ^ 「在りし日の御日常 不幸な人々に慈しみ 御霊まいりに明け暮れ」『朝日新聞』昭和26年(1951)5月18日1面
  4. ^ 1977年(昭和52年)4月1日放送 テレビ朝日「徹子の部屋」
  5. ^ 三笠宮家の寛仁さま逝去 66歳、ヒゲの殿下 - 日本経済新聞 2012年(平成24年)6月6日
  6. ^ 三笠宮寛仁さま 喉の軟骨の切除手術へ - 日テレニュース24 2012年(平成24年)2月29日
  7. ^ 三笠宮寛仁さま、首の患部から2度出血 - 日テレニュース24 2012年(平成24年)6月4日
  8. ^ 三笠宮寛仁さまの死因は多臓器不全~宮内庁 - 日テレニュース24 2012年(平成24年)6月6日
  9. ^ 「SIAニュース」115号
  10. ^ a b c 三笠宮家のご活動 - 宮内庁
  11. ^ 寛仁ひげ殿下「不良の魅力」酒もタバコも高校生からやってたよ”. ワイドショー通信簿. J-CAST テレビウォッチ (2012年6月7日). 2012年6月8日閲覧。
  12. ^ a b c 月刊ラジオパラダイス三才ブックス)1987年4月号特集「深夜放送20周年ぐらふぃてぃ」34頁より。
  13. ^ ラジオライフ』第2巻第5号、三才ブックス、1981年7月1日、20頁。 
  14. ^ A Font of Commentary Amid Japan’s Taciturn Royals - ニューヨーク・タイムズ 2007年(平成19年)10月20日
  15. ^ 読売新聞 1981年(昭和56年)11月6日
  16. ^ 週刊新潮 2007年(平成19年)4月26日
  17. ^ 瑶子女王殿下の記者会見の内容 - 宮内庁オフィシャルサイト 2003年(平成15年)10月23日
  18. ^ 著書に『悪童殿下 愛して怒って闘って寛仁親王の波瀾万丈』(幻冬舎、2013年)がある



寬仁親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 16:45 UTC 版)

女系天皇」の記事における「寬仁親王」の解説

寬仁親王は、自身会長務め福祉団体朋会」の会報で、「プライヴェート」な形式断った上で歴史伝統平成御世いとも簡単変更して良いのか」と女系天皇への反対姿勢表明した。 寬仁親王は「万世一系125代の天子様の皇統貴重な理由は、神話の時代初代神武天皇から連綿として一度例外無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実」と主張し、「陛下皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりません」「国民一人一人が、我が国形成する民草』の一員として、2665年の歴史伝統対しきちんと意見持ち発言をして戴かなければいつの日か、『天皇』はいらないという議論にまで発展するでしょう」と結んで女系天皇容認動きこれまでの歴史伝統尊重しないとする強い懸念表明したまた、男系継承維持するための方法として、歴史上実際に取られたことのある以下の4つ挙げている。 皇籍離脱した旧皇族皇籍復帰させる皇族女子内親王および女王)に旧皇族男系男子から養子取れるようにし、その方皇位継承資格与える。 廃絶になった秩父宮高松宮祭祀を、伏見宮家の子孫である旧皇族男系男子継承し宮家再興する。これは、明治時代に現皇室祖先ある光天皇実家である閑院宮家絶えた際、伏見宮家から養子迎え継承した先例があり、何も問題がなく、最も順当な方法である。 昔のように「側室」を置く。自分(寬仁親王)としては大賛成だが、国内外共に今の世相からは少々難しいかと思う。 また、寬仁親王は皇位継承問題について「三笠宮一族は、同じ考え方であるといえる」と、父・三笠宮崇仁親王と母の百合子妃も歴史伝統反す皇室典範改正反対していることを初め明らかにした。また、寬仁親王は、崇仁親王2005年10月宮内庁風岡典之次長呼んで皇室典範改正向けた拙速動き強く抗議したことを紹介したまた、皇室典範改正は「郵政民営化財政改革などといった政治問題はるかに超えた重要な問題だ」と指摘するとともに自身発言に対して宮内庁羽毛田信吾長官らが「正直、困ったな」「皇族立場改め説明する」などと重ねて憂慮表明していることに関しては、「私がこういうインタビュー応じたり、かなり積極的に発言しているのは国家未曾有の大事件と思うので、あえて火中拾い行っているような嫌いがあります」と述べ女系天皇容認動き対抗する意思明確にした。

※この「寬仁親王」の解説は、「女系天皇」の解説の一部です。
「寬仁親王」を含む「女系天皇」の記事については、「女系天皇」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「寛仁親王」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「寛仁親王」の関連用語

寛仁親王のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



寛仁親王のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
新語時事用語辞典新語時事用語辞典
Copyright © 2024 新語時事用語辞典 All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの寬仁親王 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの女系天皇 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS