大正期・昭和初期とは? わかりやすく解説

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大正期・昭和初期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 02:57 UTC 版)

東海道本線」の記事における「大正期・昭和初期」の解説

1914年大正3年12月20日には東京駅開業し、同駅が東海道本線起点となった同時に東京駅 - 高島駅間で電車現在の京浜東北線)の運行開始されている。 大正期になると輸送力増強のため、前述難所においてルートの変更が必要となったそのひとつである逢坂山大津駅 - 京都駅間)は新逢坂山トンネル東山トンネル新たに造られ1921年大正10年)に現在のルートになった。これによって特急列車による東京駅 - 神戸駅間の所要時間11時間45分となった伊豆・箱根地区国府津駅 - 沼津駅間)についても別ルート建設することとし1925年大正14年)までに国府津駅 - 熱海駅間が「熱海線」として開通したが、熱海駅 - 沼津駅間は丹那トンネル建設難工事となったため、開通遅れた一方このころから列車線電化工事東京側から始まり1928年昭和3年)までに東京駅 - 熱海駅間電化完成それまで蒸気機関車代わる電気機関車運用開始された。 1929年昭和4年)には初め愛称つきの特急富士「櫻」が、翌1930年昭和5年)には超特急「燕」が登場1934年昭和9年)には丹那トンネル開業し国府津駅 - 沼津駅間の現在のルート完成旧ルート御殿場線と名称が変更された。同時に電化区間東京駅 - 沼津駅間となり、「燕」の東京駅 - 神戸駅間は8時間37となった。また同年以降京阪神地区でも電車緩行電車急行電車)の運転が開始された。1937年昭和12年7月には特急列車1日5往復体制となり、このときが戦前における東海道本線黄金期とされる。 しかし日中戦争、そして太平洋戦争始まり戦時体制下となると様々な物資を運ぶために貨物列車増発長編成化された。1944年昭和19年)に決戦非常措置要綱に基づき旅行大幅に制限されると、同年4月1日ダイヤ改正では特急列車全廃急行列車縮減寝台車食堂車などの連結廃止、さらに1945年昭和20年)に入ると、連合国軍機による空襲機銃掃射によって駅や線路車両破壊された。

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大正期 - 昭和初期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 14:44 UTC 版)

光明池」の記事における「大正期 - 昭和初期」の解説

泉州地域旱魃かんばつ)が発生したとされる石津川 - 槇尾川間に位置する町村への農業用灌漑用溜池として、光明池建設計画される

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