地方統治機構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:19 UTC 版)
全国は5京(首都)15府62州の行政区分に分けられ、京の下に府、府の下に州が置かれた。 上京龍泉府(現在の中国黒竜江省牡丹江市寧安市渤海鎮東京城) - 首都。龍州・湖州・渤州を管轄。竜州 - 府治が設けられた。 湖州 - 忽汗海(現在の鏡泊湖)付近とされている。 渤州 - 牡丹江市南部の城址に比定されている。管轄県は貢珍県のみが現在に伝わっている。 東京龍原府(吉林省琿春市八連城に比定) - 周囲16km、南北3.5km、東西4.5kmの方形で37カ所の宮殿を擁していた。沃沮の故地に設けられ、上京府の東南に位置し「柵城府」とも言った。慶州・塩州・穆州・賀州を管轄。慶州 - 府治が設けられ、龍原・永安・烏山・壁谷・熊山・白楊の6県を管轄。 塩州 - 現在のポシェト湾岸のクラスキノ南方のクラスキノ土城遺跡に比定され、日本への出発港が設けられていた。下部に海陽・接海・格川・龍川の4県を管轄。 穆州 - 府の南方120里に位置し、会農・水岐・順化・美県の4県を管轄。 賀州 - 位置は不明であるが、洪賀・送誠・吉理・石山の各県を管轄。 中京顕徳府(吉林省和竜市) - 上京府の南方に位置した。盧州・顕州・鉄州・湯州・栄州・興州の6州を管轄。顕州 - 府治が設けられ、金徳・常楽・永豊・鶏山・長寧の5県を管轄。 盧州 - 中京府の東方130里に位置し、稲の産地として史書に記録がある。下部に山陽・杉盧(さんろ)・漢陽・白巖・霜巖の5県を管轄。 鉄州 - 中京府の西北100里に位置し、位城・河端・蒼山・龍珍の4県を管轄。 湯州 - 中京府の西北100里に位置し、霊峰・常豊・白石・均谷・嘉利の5県を管轄。 栄州 - 中京府の東北150里に位置し、崇山・潙水・緑城の3県を管轄。 興州 - 中京府の西南300里に位置し、盛吉・蒜山(さんざん)・鉄山の3県を管轄。 南京南海府(北朝鮮北青郡付近) - 沃沮の故地に設けられ、渤海の南端に位置し、沃州・晴州・椒州の3州を管轄。沃州 - 府治が設けられ、沃沮・鷲巖(じゅがん)・龍山・浜海・昇平・霊泉の6県を管轄。 晴州 - 南京府の西北120里に位置し、天晴・神陽・蓮池・狼山・仙巖の5県を管轄。 椒州 - 南京府の西南200里に位置し、椒山・貊嶺・澌泉・尖山・巖淵の5県を管轄。 西京鴨緑府(吉林省臨江市) - 高句麗の故地に設けられ、「若忽州」とも称された。神州・桓州・豊州・正州の4州を管轄。神州 - 府治が設けられ、神鹿・神化・剣門の3県を管轄。 桓州 - 西京府の西南200里に位置し、桓都・神郷・淇水の3県を管轄。 豊州 - 西京府の東北210里に位置し、州府は吉林省安図県の仰臉山城に比定されている。下部に安豊・渤恪・隰壌・硤石の4県を管轄。 正州 - 富爾河の流域に位置し、東那県らを管轄。 長嶺府 高句麗の故地に設けられ、営州道の要所に位置した。現在の樺甸市の蘇密城を府城とし、瑕州、河州の2州が設けられた。 瑕州が府治であり、河州は現在の梅河口市に比定されている。 扶余府 夫余の故地に設けられ、扶州、仙州が設けられていた。 扶州は府治が設けられ扶余、布多、顕義、鵲川の4県を管轄していた。 仙州は強師、新安、漁谷の3県を管轄していた。 鄚頡府 夫余の故地に設けられ、鄚州、高州が設けられていた。 鄚州は府治が設けられ、現在の昌図県の八面城に比定されており、粤喜、万安の2県を管轄していた。 高州に関しての領県については記録が残っていない。 定理府 挹婁の故地に設けられ、定州、潘州が設けられていた。 定州は府治が設けられ、現在の依蘭県城に比定され、定理、平邱、巖城、慕美、安夷の5県を管轄していた。 潘州は潘水、安定、保山、能利の4県を管轄していた。 安辺府 挹婁の故地に設けられ、現在の双鴨山市宝清県、富錦市一帯に比定され、安州、瓊州(けいしゅう)を管轄していた。 安州は府治が設けられていたが、瓊州同様詳細については不明である。 率賓府 率賓の故地に設けられ、綏芬河流域に位置し、華州、益州、建州が設けられていた。 華州は府治が設けられ、現在の黒竜江省東寧市大城子に比定されている。 建州は現在のウスリースク(双城子)に比定されている。 東平府 拂涅の故地に設けられ、伊州、蒙州、沱州、黒州、比州が設けられていた。 蒙州が現在の寧城県に比定されていたこと以外、詳細は不明である。 鉄利府 鉄利の故地に設けられ、現在のウスリー江以東の日本海沿岸部に比定されている。 下部に広州、汾州、蒲州、海州、義州、帰州の6州は設けられていたが、詳細は不明である。 安遠府 越喜の故地に設けられ、率賓州の北、興凱湖の東に位置し、寧州、郿州、慕州、常州の4州が設けられていた。 寧州が府治であったが、それ以外に関しては不明である。 懐遠府 越喜の故地に設けられ、安遠府の北、鉄利府の南に位置し、達州、越州、懐州、紀州、富州、美州、福州、邪州、芝州の9州が設けられていた。 達州は懐福、豹山、乳水などを管轄していた。 富州は富寿、新興、優富などを管轄していた。 美州は山河、黒河、麓河などを管轄していた。 独奏州 独奏州とは府に統括されず、京師に直接上奏できる州である。 渤海では郢州、銅州、涑州が独奏州として記録に残り、王室に直属していた。 郢州は延慶、白巖の2県を統括していた。 銅州は上京の南、現在のハルバ嶺一帯に比定され、花山県などを管轄していた。 涑州は現在の吉林市付近に比定されている。 上記州以外に『遼史』に記録されている集州(奉集県を管轄)、麓州(麓郡、麓波、雲山の3県を管轄)を加えることで62州となり、『新唐書』に記載される62州に合致する。しかし前記の地方統治機構は渤海存続期間において絶対的な制度ではなく、『遼史』の地理志に「安寧郡」や「龍河郡」という記録もあり、渤海前期には見られなかった「郡」が出現していることからも明らかである。このほか政治・軍事上の理由から唐制に倣い節度使を設けている。『遼史』太祖紀・下に節度使来朝の記録があり、節度使存在の傍証といえる。 橋本増吉は、「五京を設けた理由は陰陽五行説や、遊牧生活者に多い、夏冬移居の風の影響もあろうが、更に全国を十五府六十二州に分けていたことにより、大領域が可なり周到なる地方行政を受けていたことを知るに足ると思う」と指摘している。
※この「地方統治機構」の解説は、「渤海 (国)」の解説の一部です。
「地方統治機構」を含む「渤海 (国)」の記事については、「渤海 (国)」の概要を参照ください。
- 地方統治機構のページへのリンク