ルソーの市民宗教論
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「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「ルソーの市民宗教論」の解説
ホッブズやロックに次ぎ、彼らとは異なる内容の社会契約説を展開したジャン=ジャック・ルソーは、ホッブズの重視する社会秩序とロックの重視する自由とを両立させようとした。そこでルソーは社会関係の土台となる結社の協約を、契約する当事者相互の合意だけではなく、「市民の宗教」の上にも基礎づけた。また、ルソーは1762年の『社会契約論』最終章において宗教を3つに分け、「聖職者の宗教」(カトリック)は「ひとびとに2つの法体系、2人の首長、2つの祖国を与えて、人々を矛盾した義務に従わせ、人々が信者と市民の役割を使い分けるように仕向ける」として否定し、古代ギリシアや古代ローマにみられた「市民の宗教」は神への礼拝と法への愛とを結びつけ、祖国を熱愛の対象とする「よき宗教」だが、自国民以外に対して排他的で不寛容なこともあるとし、さらに純粋な福音の宗教としての「人間の宗教」において人間はすべて互いに兄弟となるが市民たちの心を国家からも引き離してしまうので、社会的精神に反するとして批判した。 ルソーはすでに1756年に「市民の宗教」の着想を得ており、これはヴォルテールにあてた書簡によって確かめられている。ルソーはこの書簡において、「それぞれの国家には1つの道徳的法典、すなわち一種の市民的信仰告白」が存在しており、それは積極的には各人が認める義務がある社会的な行為基準を含み、あるいは消極的には「不信心者としてではなく、謀叛人としてはねつけなければならない狂信的な」行為基準を含んでいるとし、したがって「この法典と折り合える宗教はすべて認められるが、それと折り合いのつかないような宗教はすべて放逐される」としている。言い換えれば、「市民の宗教」とは宗教的な方法で課されるところの世俗的な道徳の教義である。そして、「各人がこの法典そのもの以外に少しも宗教をもたないのは自由」であると述べ、「市民的信仰告白」さえなされれば無神論に立つことも許容するのである。これはもはや特定の地域の特定宗教ではなく、政治的関係そのものといってよい。「社会的な道徳律」に照らして異端的であったり、それに対して無神論的であったりすれば追放されることも甘受しなければならないとした。それゆえに「市民的信仰告白」は義務であり、歴史的宗教の方は任意なのである。 個人主義・分離主義的なロックの思想に対し、ルソーの思想はいっそう社会的・包括的である。ルソーは「宗教が国家の基盤の役割を果たすことなくして、決して国家が建設されたことはない」という歴史的な原理を提示し、ロックにおいては国家と宗教を分離したうえで、国家権力の制限における定義が示されたが、ルソーは人民による社会的信仰への同意が必要であるとした。ルソーは、「市民の宗教」における「教義」を「つよく、かしこく、親切で、先見の明あり、めぐみ深い神の存在、死後の生、正しい者にあたえられる幸福、悪人にくわえられる刑罰、社会契約および法の神聖さ」と列記しており、「不寛容」に関しては「自由を大事にしない人たちに自由を与えるべきではない」として、不寛容者は「それゆえに国家から追い出されるべきなのである」とした。ルソーは、神学的不寛容と市民的不寛容を区別することを拒んだのである。
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