ヨーロッパにおける政教分離の歴史とは?

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ヨーロッパにおける政教分離の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/18 02:41 UTC 版)

ヨーロッパにおける政教分離の歴史(ヨーロッパにおけるせいきょうぶんりのれきし)では、ヨーロッパにおける政治社会と宗教の関係性の歴史、具体的にはヨーロッパの諸国家とキリスト教の関係史について叙述する。ヨーロッパにおいて、政教分離原則の成立は一回的な歴史事象としてあらわれたのではなく、長い歴史的過程のなかで徐々に進行した結果成し遂げられたものである[1]。したがってここでは、その成立史を、近代以前の政治社会にもさかのぼって、その国制や宗教政策を軸に、社会的背景や政治思想史・宗教思想史との関連も含めて記述し、ヨーロッパにおいて統治機構と宗教組織が分離していく過程として説明する。




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注釈

  1. ^ 従来説のようにヴィッテンベルク城の聖堂の扉に掲載されたという説は現在疑問視されている。
  2. ^ たとえばツヴィングリ、カルヴァンなどほかの改革派はルターのプロテスタンティズムを教義において保守的であると批判している。またルターの教義の核心である信仰義認説については1511年に枢機卿コンタリーニがルターとは無関係にこの結論に達しており、同時代ではイングランドメアリー女王のもとでカンタベリー大司教であった枢機卿ポール、人文主義者でケルン司教区の改革に従事していたグロッパーなどが個別に信仰義認説に到達している。コンタリーニ、グロッパーなどはカトリックの穏健派で、論争に際してはルターとの和解を模索した。
  3. ^ しかし、ルターはアウグスティヌスの教会論を意図的に斥けているように見える。アウグスティヌスはドナティストとの論争において、彼らが教会に分裂をもたらしかねないことが問題であるとした。教会は唯一であるべきというのが彼の考えであった(A・E・マクフグラス『キリスト教思想史入門』pp.103-112)。
  4. ^ アウグスト・フランツェンによれば、ツヴィングリがルター思想の影響を受けるようになるのは、1519年のライプツィヒ討論以後のことでしかも非常に限定的であり、1522年まではエラスムスの影響が顕著であるという(アウグスト・フランツェン『教会史提要』p.245)。A・E・マクグラスによれば、北ドイツの宗教改革に対し、スイスの宗教改革には人文主義の著しい影響が認められる(アリスター・マクグラス 2000, pp. 85-92)。
  5. ^ ツヴィングリはこのような自治組織の権威は神に由来し、聖書の解釈をする権威さえも保持していると考えた(アリスター・マクグラス 2000, p. 285)。
  6. ^ しかし一方でルター訳聖書が近代ドイツ語の基礎となったように、文化的側面においてはドイツの統合をもたらす側面もあった。[要出典]
  7. ^ 斎藤泰「帝国国制における原スイス永久同盟」『スイスの歴史と文化』p.19。そもそもこの事件の結果とされる盟約者団結成も物語での1308年のことではなく、1291年8月1日のことである。
  8. ^ 帝国直属という地位は帝国都市と同等であり、他の諸侯の影響を受けないことから「帝国自由」と呼ばれ、国家形成に通じる自治を可能にするものであった[要出典]
  9. ^ このシュヴィーツに下された特許状がフリードリヒ2世の破門中に出されたものであり、かつ誰から皇帝が買い戻したかが書かれていないことが、こののちしばしば争点となり、ハプスブルク家はその点を指摘して証書を無効と見なすことが出来たのである}}。
    「永久同盟」文書
    1291年8月1日、ウーリ・シュヴィーツ・ニトヴァルデン三者がハプスブルク家を意識しつつ、相互援助を約した。現在のスイスでは、この同盟締結の年を建国の年としており、8月1日はスイスの建国記念日である
  10. ^ オプヴァルデン渓谷は盟約結成直後に参加している。
  11. ^ しかし、この通説に対する有力な異説として、この戦争をマクシミリアン1世は皇帝としてではなく、ハプスブルク家の当主として戦っているのであり、したがってこの戦争は地方的な紛争に過ぎないとするものがある。この異説は1947年、H・ジークリストによって提唱され、1958年の著書において、K・モムゼンもこの見方を継承する。[17]
  12. ^ このころ諸州の代表団によって形成された「大同盟」議会が同盟内で唯一の連邦的権威を有していたが、その権限は不確定であった。スイスはすでにヨーロッパの有力な勢力となっていたが、各カントンは依然として個別に同盟関係を築き、固有の従属領域を維持しており、独立性が高かった[要出典]
  13. ^ スイスでは自治権を持つ州のことをカントンをいうが、これはスイス革命により成立したヘルヴェティア共和国の時期に一般化したフランス語由来の用語である。それ以前は「邦」と呼ばれていた。ここではカントンと邦を区別せずに用いる[要出典]
  14. ^ ツヴィングリは聖書に記載されていない事柄は聖書の教えに反しており、禁止されるべきという考えを持っていた。
  15. ^ カール大帝の名にちなんでいる。現在のチューリヒ大学の元となった。
  16. ^ ルターは聖体拝領のパンと葡萄酒の中にキリストが実在しているという両体共存説をとっていたが、ツヴィングリはパンと葡萄酒は象徴に過ぎないと考えていた。詳細は聖餐論を参照。
  17. ^ 「1537年1月の提案の時点ですでに、これらの片言隻句にさえ教会権自律の主張を感じ取ったジュネーヴ市参事会は……。」(出村彰監修『総説 キリスト教史 2 宗教改革編』pp.117-118)
  18. ^ 牧師と教師は説教などを通じて司牧の役割を担い、聖書解釈の問題などについて定期的に審議した。長老は、牧師・教師とともに監督院を形成して、市内のどの家でも自由に立ち入ることができる権利を有し、市民生活を監督した。執事は教会施設の管理と救貧を担った。
  19. ^ この点で隣接する南西ドイツのルター派都市との命運の差は歴然である。なぜならシュマルカルデン戦争の結果、これらの都市ではカール5世により徹底的にツンフトが解体され、門閥支配に戻されたからである。ドイツとスイスの都市は国境を挟んで一方はルター派にとどまり、門閥支配が強められ、他方はカルヴァン派を信仰し、ツンフトが宗教改革を通じて門閥支配を解体した[要出典]。「シュマルカルデン戦争」節を参照。
  20. ^ ウルリヒイム・ホーフ 1997, pp. 84-85。再洗礼派については、同ページの訳注(3)を参照。
  21. ^ 「ユグノー」という用語は当初は蔑称であり、プロテスタント側はこの語を使っていなかった。語源的にはスイスにおいてサヴォワ公に反対した「連合派 (Eidgenossen)」に由来するといわれ、民間信仰における「ユゴン王」に結びつけられていた。この「ユゴン王」は一種の化け物である。(木崎喜代治『信仰の運命』pp.20-21、金哲雄 2003, p. 2)
  22. ^ フランスのプロテスタンティズムは、概して民衆の自発的な選択によっていたことが大きな特徴である[要出典]
  23. ^ 1533年にはパリ大学総長がルターに依拠して演説し、1534年にはカトリックのミサ聖祭の中止を訴える檄文事件が起こっている[要出典]
  24. ^ マックス・ウェーバーは、フランスの改革派が「フランス工業の資本主義的発展の最も重要な担い手の一つだった」(マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』p.28)と述べている。またウォーラーステイン は『近代世界システム 1600-1750』において、ナント勅令廃止がフランス産業革命の立ち後れをもたらしたと指摘する(金哲雄 2003, p. 14)。一方でウェーバーの研究に影響を受けた日本の大塚史学においては、ユグノーの経済史的役割は概して冷淡に扱われた(金哲雄 2003, pp. 5,20-28)。
  25. ^ この節は全般的に金哲雄 2003に依拠する。
  26. ^ この衰退に宗教迫害がどれだけ影響を及ぼしたかについては主要な研究において見解が相違している。W・C・スコヴィルは『ユグノーの発展とフランスの経済的発展 1680~1720』(1960年)において、宗教的迫害の激しくなる時期と経済的衰退の時期が一致しないことを挙げ、むしろルイ14世の対外戦争に対抗した諸外国による高額の関税、インド産綿布の普及、国家による経済統制や国産品税の導入などがその原因であるとする(金哲雄 2003, pp. 83-91)。それに対し、C・ヴァイスの先駆的研究「17世紀におけるフランス・プロテスタントに関する研究報告書」はナントの勅令を経済的衰退の原因と見ている(金哲雄 2003, pp. 106-113)。金哲雄も同様である(金哲雄 2003, pp. 113-151)。
  27. ^ 1685年の事例によれば、竜騎兵たちは疲労しないよう交替しながら、改革派信徒を眠らせないよう太鼓を鳴らし、罵倒し、体を揺さぶり、針を突き刺し、命に別状ないやり方で苦痛を与えた[要出典]
  28. ^ 低地地方をあらわすNederlanden(複数形)の発音は「ネーデルラント」よりも「ネーデルランド」に近い(厳密には「ネーデルランデン」)。Nederland(単数形)の発音は「ネーデルラント」であるが、これは今日オランダを指す。今日のオランダ・ベルギーを含む低地地方を「ネーデルラント」と日本語で表記することが多いが、これは適切とはいえない(川口博 1995, pp. 12-15)。したがって、この記事内ではオランダとベルギーを含む地域を「低地地方」と表記し、「ネーデルラント」は用いない。
  29. ^ 少なくとも「カルヴィニズム的北部」と「カトリック的南部」の分離が宗教的理由によるという見解はオランダ独立の歴史的な経過に即しているとはいえない。そもそもカルヴァン派の人口に占める割合は、北部よりも南部の方が当初は多かったのであるから、北部と南部の宗教事情の相違は分離の原因ではなく結果であると見るべきである(川口博 1995, pp. 19-27)。
  30. ^ ブルゴーニュ公国の収入において大部分を占める臨時収入において、低地地方からの収入割合は75%を占め、経常収入においてもブルゴーニュ本領の収入は5%に過ぎなかった。(堀米庸三「ホイジンガの人と作品」『世界の名著67 ホイジンガ』p.64)
  31. ^ :États Généraux:Staten-Generaal。慣例で「全国議会」と訳されるが、この会議は低地地方全体の身分制議会ではなく、州ごとの身分制議会の派遣する使節団の会議というほうが実情に近い(川口博『身分制国家とネーデルランドの反乱』pp.10-11)。
  32. ^ ところで、この17州というのが具体的にどの州を数え上げたものかについては数説あり、一致した見解が得られているとは言えず、不明確である。あるいは中世ヨーロッパにおいて17という数字は不特定多数の寓意でもあったので、それに由来するのではという示唆もホイジンガから出されている。詳細は川口博「「十七州」考」(『身分制国家とネーデルランド』所収)参照。
  33. ^ カンブレメヘレンユトレヒトに大司教区が設けられた。
  34. ^ グランヴェルもメヘレン大司教となっている。
  35. ^ このとき下級貴族を「乞食(ヘーゼン)」と蔑称したことから、彼らは自ら「乞食党(ヘーゼン)」を名乗るようになったという。なおよくある表記「ゴイセン」は現地語に即して正しい表記とはいえない(おそらく「ゴイセン」はドイツ語のGeusen(発音はゴイゼン)に由来すると思われる)。ヘーゼンのオランダ語における綴りは「Geuzen」であるが、この語頭の「g」は有声軟口蓋摩擦音であり、有声軟口蓋破裂音であることが多い英語の「g」や日本語ガ行とは異なる音であるため、最近ではハ行で転写されることが増えつつある。また「オランダのカルヴァン派をゴイセンと呼んだ」という誤解があるが、これはずっと後になってから特殊に改革派をヘーゼンと蔑称する用例ができたに過ぎない(川口博『身分制国家とネーデルランドの反乱』pp.15-16)。
  36. ^ カンブレメヘレンユトレヒトに大司教区が設けられた。
  37. ^ グランヴェルもメヘレン大司教となっている。
  38. ^ これは改革派がそれほど浸透していない低地地方北部でも暴動が起こっていることから明らかである。(森田安一 1998, pp. 245-246)
  39. ^ 教会内部の分裂を反映して、第一身分(聖職者)議員326人のうち220人は下位の聖職者すなわち教区司祭であった。貴族出身の司教修道院長、上位聖職者、修道士など教会組織の支配層は少数であった。プライス(2008)p.138
  40. ^ この当時の修道院生活は極めて厳しいものであったので、多くの者が解放を喜んだ。
  41. ^ 義勇兵を主体とするフランス軍が初めてプロイセンに勝利した戦いで、プロイセン側でこの戦闘を目撃したゲーテが「ここから、そしてこの日から世界史の新しい時代が始まる」と述べたことで知られる。
  42. ^ 食糧危機の原因は、増強されたフランス軍兵士の糧食が増えて従来の食糧供給のシステムが破綻したことに加え、民衆騒擾、紙幣と化したアッシニア濫発にともなうインフレーション、さらに不作が重なったことなどである。戦争によって海外市場が失われて国民の購買力が低下し、失業率が高まったことがこれに拍車をかけた。プライス(2008)p.170
  43. ^ 「革命的諸宗教」はアルフォンス・オラールの用語である。オラールによれば、革命的な諸信仰はジャコバン独裁期に相次ぐ政治的必要に応え、競合する政治集団によって執り行われた国防目的の方便にすぎなかったし、政治対立の目的でもあり手段でもあるところの人為的創設物でしかなかったので、複数形でしか語りえないものであった。それに対し、アルベール・マチエの考える「革命的宗教」では自然発生的な創設が想定され、いわば、18世紀の哲学のうえに咲いた遅咲きの花であるとする。宗教に関しても、個人を社会に統合する規範の総体としての宗教という考え方を提示した。オズーフ「革命的宗教」(1999)pp.43-62
  44. ^ 当初は1789年7月14日を記念日として「自由元年」とする発想が生まれるが、1792年の8月10日事件後はこれに「平等元年」という考えが付け加わる。ここでさまざまな論争が起こるが、結局、1792年9月22日の共和政宣言の日がたまたま秋分の日にあたっていたところから、自然と歴史の両方に依拠してその日が新しい暦の開始点となった。オズーフ「共和暦」(1999)pp.78-95

出典

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