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合衆国最高裁判所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/29 15:02 UTC 版)
(アメリカ連邦最高裁判所 から転送)
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合衆国最高裁判所(がっしゅうこくさいこうさいばんしょ、Supreme Court of the United States、United States Supreme Courtと呼ばれることもある。略称はSCOTUS、USSC)は、アメリカ合衆国の最上級の裁判所であり、アメリカ合衆国連邦政府の司法府(連邦裁判所)を統括する。合衆国憲法第3条第1節の規定に基づき設置された唯一の裁判所(他の連邦の下級裁判所は連邦法に従って設置されている)。
日本では連邦最高裁判所(連邦最高裁)と呼ぶことが多い。
目次 |
概要
合衆国最高裁判所は、その長官である首席判事(しゅせき はんじ、Chief Justice)と8人の陪席判事(ばいせき はんじ、Associate Justices)から構成される。この首席判事のことを日本では便宜上、最高裁長官(さいこうさい ちょうかん)と意訳している。
最高裁長官と陪席判事は、大統領が指名し、任命するが、任命には上院の過半数による助言と同意が必要とされる(合衆国憲法2条2節2項)。他の合衆国の裁判官と同じく終身制であり、本人が死去または自ら引退する場合を除いて、弾劾裁判以外の理由では解任されない(同3条1節。ただし、現在までに弾劾によって解任された判事はいない)。なお、日本では現職の最高裁判事が年を経て最高裁長官に昇格することが多いが、アメリカでは最高裁長官と陪席判事はそれぞれ別個に任命されることになっており、長官が死去または引退した場合には外部から新たな長官が任命されるのが普通で、陪席判事が長官に昇格した例は少ない[1]。
州間の争いなどの限られた事件について第一審としての管轄権を有するが(合衆国憲法3条2節2項)、こうした事件はまれであり、ほとんどの事件は連邦下級裁判所または州最高裁判所からの裁量上訴事件である。連邦最高裁は、連邦法や州法、連邦や州の行政府の行為が合衆国憲法に反するか否かを判断する権限(違憲審査権)を有することが判例上確立されており、違憲と判断された法令等は無効となる。
最高裁長官は慣例として、合衆国憲法2条1節8項に定められた大統領の就任宣誓を執り行う。
合衆国最高裁判所は、首都ワシントンD.C.北東地区の最高裁判所ビルにある。最高裁判所ビルは、ギリシアのパルテノン神殿をモチーフとして建てられている。
歴史
連邦最高裁の歴史を語るとき、その時々の最高裁長官の名前(「○○・コート」)でその時代を指し示すことが多い。
初代最高裁長官はジョン・ジェイである。憲法制定後しばらくは、最高裁判所が連邦政府において重要な役割を占めることはなかった。
この状況を大きく変えたのがジョン・マーシャル長官時代である。マーベリー対マディソン事件において、最高裁が違憲立法審査権を有すると宣言したほか、多くの重要な判決により、連邦政府の三権の一つとしての司法の役割を確立するに至った。一方、州裁判所に対する連邦最高裁の優位を確立する判決を下し、判決の執行に当たり州政府の抵抗を受ける場面もあった。また全ての判事が意見を発表するイギリスからの伝統を打ち切り、一つの多数意見を発表する慣習が作られた。この時代に唯一の弾劾裁判が開かれ、最高裁判事サミュエル・チェイスが訴追されたが、結局上院はチェイスを弾劾しなかった。
続くロジャー・トーニー長官時代(1836年-1864年)は、ドレッド・スコット対サンフォード事件の裁判で知られている。最高裁は、この判決で、奴隷制度の存続を許容し、これが南北戦争の原因の一つとなったと言われている。
南北戦争後のチェイス、ウェイト、フラー各長官の時代(1864年-1910年)は、南北戦争後の憲法の修正条項の解釈に取り組み、実体的デュー・プロセスの原理を発展させていった。ホワイト、タフト各長官の時代(1910年-1930年)にこの理論は頂点に達し、この頃から、連邦政府にしか適用がないとされてきた権利章典の一部を、憲法修正14条を通じて州政府の行為にも適用し始めた。
ヒューズ、ストーン、ビンソンの3長官の時代(1930年-1950年)には、現在の新しい建物に移った。またニューディール政策を支えるために大きく憲法解釈を変更した。
アール・ウォレン長官時代(1953年-1969年)は、憲法上の市民権を広く解釈した多くの判決を下し論争を呼んだ。ブラウン対教育委員会裁判では人種隔離政策を違憲としたほか、プライバシーの権利を認め、学校での義務的宗教教育を制限した。またミランダ対アリゾナ州事件など刑事手続における新たな判例が作られ、州政府にも適用される権利章典の範囲を広げた。
バーガー長官時代(1969年-1986年)には、中絶が憲法上の権利であると認めたロー対ウェイド事件やアファーマティブ・アクションに関するカリフォルニア大学理事会対バッキ裁判などで多くの論争を巻き起こした。選挙活動における支出制限を違憲とする判決を下し、また死刑制度については違憲から合憲へと短い間で判例を変更した。
ウィリアム・レンキスト長官時代(1986年-2005年)には、出訴権・労働組合の争議権・中絶権などを狭く解し、一方で連邦議会の通商条項上の権限を狭く解釈する二つの判決を出した。
現在のジョン・ロバーツ長官は2005年に就任した。
- ^ 2012年現在までにおけるアメリカ合衆国の歴代最高裁長官17名中、現職の陪席判事から長官に昇格したのは、第9代長官ホワイト・第12代長官ストーン・第16代長官レンキストの3名のみである。その他、第2代長官ラトリッジと第11代長官ヒューズの2名は陪席判事を引退した後に長官として再任された。
- ^ 付随的違憲審査制とは、憲法裁判所のような違憲審査を扱うための特別な機関を設けることなく、通常の裁判所が具体的な事件や争訟に対して法令を適用し解決する際に、必要な範囲で違憲審査をする方式のことを指す。対極にある概念として、抽象的違憲審査制がある。詳しくは違憲審査制のページを参考のこと。
- ^ 28 U.S.C. §2。
- ^ “Visitor’s Guide to Oral Argument at the Supreme Court of the United States (PDF)”. U.S. Supreme Court. 2009年1月23日閲覧。
- ^ 28 U.S.C. §1
- ^ Jack M. Balkin (2004年4月15日). “The Passionate Intensity of the Confirmation Process”. 2008年10月14日閲覧。
- ^ ロー・クラークは判事を補佐し、事件の審理や裁判に必要な調査を行ったり、判決の意見部分を執筆することを業務としている職業である。日本では類似の職種として裁判所調査官(意見を執筆することがあるという点に注目すれば、最高裁判所調査官が最も近い)があるが、日本における裁判所調査官が国家公務員特別職のひとつである裁判所職員として扱われている(最高裁調査官については、現役の判事が判事のまま任に当たる)のに対し、ロー・クラークには公務員資格は必要とはされず、主にロー・スクールを優秀な成績で卒業したばかりの若手が選ばれる場合が多い。
- ^ 20 Am. Jur. 2d Courts § 147
- ^ 20 Am. Jur. 2d Courts § 146
- ^ 20 Am. Jur. 2d Courts § 147
- ^ 36 C.J.S. Federal Courts § 201
- ^ 36 C.J.S. Federal Courts § 210
固有名詞の分類
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