FIDO
読み方:ファイド
別名:FIDO認証,ファイド認証
FIDOとは、米国のFIDO Allianceが策定を進めているオンライン認証の規格である。2015年1月にFIDO 1.0の仕様が公開されている。
FIDOは指紋認証をはじめとする生体認証の技術をオープン標準として確立することを目標に掲げている。生体認証が標準技術として確立されることによって、認証は従来のパスワード方式よりも強固なものとなり、同時に、アカウントごとにパスワードを設定し管理する手間と労力とを大幅に削減して、より手軽でスピーディーな認証が実現されると期待されている。
FIDOの規格の策定を進めるFIDO Allianceは2012年に発足した。発足当初の参加企業はPayPalやLenovoを含む計6社だったが、2015年初頭の時点で150社以上が参加している。
Microsoftも、Windowsの次期バージョンとなる「Windows 10」においてFIDOの認証方式をサポートする旨を表明している。
参照リンク
FIDO Alliance
ファイド
ファイド(Faid)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:50 UTC 版)
「カセリーヌ峠の戦い」の記事における「ファイド(Faid)」の解説
1943年1月23日、イギリス第8軍(司令官バーナード・モントゴメリー)はトリポリを占領、ロンメルのアフリカ装甲軍の補給路は、遠くチュニスからの陸上路に頼るのみとなった。 ロンメルはこの危機に対して、作戦を立案、過去にアルジェリア駐留フランス軍がリビア駐留イタリア軍からの攻撃を防衛するために構築したマレス線(Mareth Line)を再利用してチュニジアの南からの防衛線とした。チュニジアは、地形的に、西はアトラス山脈、東はシドラ湾にそれぞれ囲まれ、防衛側に有利な地形であった。 しかし、すでに連合軍がアトラス山脈を横切っており、ファイド峠(Faid)にすでに前線基地を築いたという事実がこの構想を台無しにする可能性があった。この位置を連合軍が押さえたことにより、枢軸軍をシドラ湾へ東に押し込み、さらに北部を遮断するのが可能となり、南部の枢軸軍の補給線を遮断する可能性が出ていた。 そのため、ドイツ第5装甲軍(司令官ユルゲン・フォン・アルニム)は1月30日、アトラス山脈東山麓の連合軍の元へ急行した。ドイツ第21装甲師団はファイドでフランス軍と遭遇、自由フランス軍は75mm砲で攻撃を行い、ドイツ軍に多大な損害を与えたが、ドイツ軍に押し戻された。しかし、アメリカ第1機甲師団の砲兵と戦車がその後、戦闘に加わり、若干のドイツ戦車を破壊、ドイツ軍を押し戻そうとした。しかし、アメリカ機甲部隊は、以前にも、イギリス軍との戦いで使用されていたドイツ軍の戦術にはまり、撃退された。ドイツ戦車の後退は作戦であり、アメリカ機甲部隊がドイツ軍の陣地に到着するや否や、ドイツ軍の対戦車砲の集中砲火を浴び、ほとんどの戦車が破壊された。無線、有線の両通信が破壊された時、アメリカ軍の観測者は言った。 「これは殺人だ、彼等は隠されて配置されていた88mm砲の鼻っ面に入ってしまい、私はバラバラに吹き飛ばされた戦車、急に燃え上がる戦車、急停止する戦車を見ていることだけしかできなかった。後ろの方にいた人々は88mm砲が至るところに隠されていたように、物陰に隠れようとしていた。 アメリカ機甲部隊が撃退されたことにより、ドイツ第21装甲師団はファイドに向けて前進を再開した。ドイツ軍は進撃中、ドイツ戦車は塹壕内部を踏み潰してまわったが、アメリカ将兵が個々に浅い塹壕を掘るというアメリカ軍の習慣により、さらに悪化した。アメリカ第1機甲師団はドイツ軍の進撃を阻止しようとしたが、ドイツ軍の電撃戦に直面した。アメリカ軍が防衛を命令された地域はドイツ軍がすでに抑え、そのため、ドイツ軍の攻撃を受けた部隊は大損害を被った。3日後、アメリア第II軍団はアトラス山脈山麓へ撤退せざるをえなくなっていた。 このため、チュニジアの大部分がドイツ軍の占領下に置かれ、沿岸部への侵入は阻止された。連合軍はアトラス山脈の三角地帯を占領していたが、東への出口が遮断されていたため、ロンメルはこれを考慮にいれなかった。翌日から2週間、ロンメルらは北への行動について議論を重ねたが、このために機を逸することとなる。
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