スズメ刺し型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 03:52 UTC 版)
実戦例として、第3図は、戦法の発信源のひとりとされている田中寅彦が挙げる黎明期の会心局。田中寅彦対石田和雄戦(S56年11月、オールスター勝ち抜き戦)で、図から☖同歩☗同香☖同香☗1五歩☖1三歩☗1四歩☖同歩☗5五歩☖同歩☗3五歩☖同歩☗同銀と進み、主導権を握った先手の攻めが炸裂している。 スズメ刺しのあとは、☗3五歩☖同歩☗同角と3筋の歩を交換する形に進んで、その後☗3六銀から3七桂の理想型を作れるので、飛先不突を活かしている。これでは先手が快調ということで、後手はその後☖6四角と出て先手の攻めをけん制するようになる。 スズメ刺し型は青野照市が七段時代に打ち出した新しい戦法で、青野流とも呼ばれていた。 青野によると、青野流を指す以前には、野本虎次が2六歩を突かない矢倉を指していた。このため、野本は最初にこの矢倉を指していたと云っていたというが、野本のは2六に角を移動させる四手角のような活用で利用していた。 青野流は、飛車先を突く一手を保留してその一手をより有効に活用しようという戦法であり、まさしく現代矢倉戦法の先端をゆく画期的な構想である。 どういうメリットから、飛単先不突矢倉が誕生したのかについて、青野は飛車先を突かないほうが手が広い、という思想であったというが、これに関しては、先見の明かあった大山康晴でさえこれは一時期の流行で「そのうちにすぐ突くようになりますよ」と言っていたくらいであったという。また、前述の第四十期名人戦第4局の現地大盤解説を務めた米長邦雄も「良いとは思えない。いずれは廃れるであろう」と発言している。 勝又によると、後回しにできる手は後回しにし、ほかの駒を好位置つけるという、この思想はのちの藤井システムなどの新戦法にも通じるキーワードであり、じつはこの飛先不突矢倉が発信源で、これが当時画期的とされた。 前述の第四十期名人戦での戦型について、両雄は名人戦前に王将戦リーグで対戦済みであり、試みた中原は当時「青野流をヒントにした」と述べていた。 将棋界で特に名人戦は最高のヒノキ舞台であるが、同時に、過去に新戦法の実験の場ともなってきた。このときの勝負では「矢倉4六銀戦法」(矢倉3七銀型)の他に「飛先不突矢倉」がいっぼうの主役をつとめた。七番勝負が持将棋、千日手をはさんで実質十番に及び、勝負のついた七番はすべて先手勝ちという現象を生んだ。第二局から第六局千日手指し直し局までの六局が、すべて「飛先不突矢倉」となった。しかも加藤が3勝、中原が2勝で、この結果で即、優秀な戦法であるときめつけるわけにはいかないが、戦法自体は五勝無敗一千日手という結果である。 それでもいまなお、結論が出ない戦法である。 「飛先不突矢倉」3七銀(〜2六銀)型は、米長邦雄によると(米長の将棋 完全版 第二巻 マイナビ出版 2013年)中原誠ら高柳敏夫一門の研究手であるというが、公式戦で初めて試みたのは中原の弟弟子である田中寅彦が知られる。当時既成の定跡にメスを入れる、その姿勢は高く評価されていた。そして中原も奨励会時代に練習将棋で何度か試みたことがあり、四段になってからも一度公式戦で☗2六歩を保留し、先に☗3六歩と突いた経験がある。参考図は昭和四十二年1月、第十期棋聖戦予選で、中原にとっては兄弟子芹沢博文との初手合であった。このときは☗3七銀から4六銀として、☗3八飛から3五歩で3八飛車型の急戦矢倉にするのが狙いであった。この将棋でも2六歩の一手を省略しようという発想は同じであるが、「飛先不突矢倉」はそれを持久戦に生かそうという新しい試みであった。 △芹沢 持ち駒 なし ▲中原 持ち駒 なし図は▲3六歩まで参考図 中原vs芹沢戦 第1図をみると、先手のねらい「飛先不突矢倉」のねらいは2六銀の一手に明らかであるが端攻めで、単純にこの部分だけについていえば二手得となっている。それを攻めに生かすハラづもりであるが、歩が2五まで伸びていたほうがいいことはいいが、☗2五歩から2六銀、後手☖3三銀と7三角の形も部分的には好形であり、それを割引くと☗2六銀の歩越し銀は、一手から一手半ぐらいの得となっている。 先手3七桂と跳ねて先手の攻めの態勢は完全に整ったが、後手の角筋が通っているので、まだ攻めは無理。一方後手☖4三金右に☗4六歩と自らの角道を止めたのは損なようだが、いつでも4五歩と突き出せるので手を封じたことにはならない。後手は☖9四歩と突き☗1六歩に☖6四歩と角道を止める手がつまってきた感じがあるが、これは後手☖8四角から7三桂、6五歩の狙いであり、後手は対4六銀戦法でもお馴染みの布陣となっている。 先手はここで、☗5五歩から入るのが用意周到な攻めとなる。後手は☖同歩の一手。ほかに有効な手がないので素直に応じるより仕方がないが、これによって、後手の角筋が二重に止まったこととなる。そこで☗4五歩☖同歩☗1五歩と仕掛ける。☖同歩には☗同銀が最善。☗同香と行くのは☖1三歩と受けられて、いったん攻めがとだえる。☗同銀の方がきびしいのである。後手は☖同香と取り、☗同香と取り返す。 ここで後手には、①☖1三歩、②☖1五同銀の二通りの応手がある。 ①の☖1三歩には☗1二歩と垂らす。☖同玉なら☗1七香と打ち、☖2二銀には☗2五桂と跳ねる。これはいかにも手順が良く、☖同銀なら☗1三香成☖同桂☗同香成で文句なく先手優勢となる。したがって後手は☖1二同玉とは取らず☖6五歩と突くぐらいだが、このとき、まえもって☗5五歩と突き捨てた効果が表れてくる。先手は☗1一歩成☖同玉と取らせて☗1七香と打ち、☖1五銀☗同香☖1二香に☗2五桂と跳ねる。☖2二銀と受ければ☗3五歩と突く。平手の将棋なので断然有利といかないが、先手の指しやすい形勢。攻勢が依然として続いているところに有利さが認められる。 ②の☖1五同銀には、先手は☗同飛の一手。以下☖1三歩には☗3五歩と突く。☖1四香☗2五飛☖2四銀と飛車を取りにくれば、強く☗3四歩と取り込み、☖2五銀には☗同桂で先手がよくなる。次に☗3三銀の狙い。☖3四金なら☗3三歩で十分。いまの手順中☖2四銀で☖3六銀ときても飛車を逃ける意志はない、☗1五歩☖2五銀☗同桂☖1五香☗3四歩で似たり寄ったりである。 後手の指し方はまたほかにもあるが、ここでは先手の狙い筋に的を絞ると図で後手が☖2二玉ときたら☗2五銀と立つ。これが飛先不突矢倉の秘められた狙い。飛先不突矢倉には常に端攻めがある。しかし基本は端を攻めるとみせて、局面の主導権を握るのが大きな狙いでもある。 棋士同士の一戦では互いの手をころし合い、狙いを封じ合うので、☗2五銀が実現した棋譜はおそらくないと思うが、アマチュアの間では知らなければつぶされる。 ☗2五銀と立たれたあとでは、すでに銀を撃退する方法はない。かりに☖4五歩と突けば、先手は☗3七桂と跳ね、☖4四金に☗1四歩と仕掛ける。☖同歩☗同銀☖同香☗同香となれば文句なく先手優勢。端が受からないのは一目瞭然。したがって後手は銀を取らずに☖3五歩とすることになるが、それでも☗同歩と取り、☖3六歩に☗2五桂☖2四銀☗1二歩☖同香☗1三歩で先手がよい。ともかく2五銀と出させてはいけないのである。 後手はいったん☖2四銀と上がり桂を待って☖2二玉と入るのが正しい手順。 そこで☗2五銀とぶつけるのは、今度は平凡に☖同銀と取られ、☗同桂☖2四銀☗2六歩☖4五歩と突かれてたいしたことがない。 ☗2五銀では2五桂と跳ねるのが攻めの調子で、☖4五歩なら☗4六歩☖同歩☗同角と1歩を持って手を渡す。このあと☖4五歩☗6八角☖9二香とでも上がれば、すかさず☗1四歩と仕掛け、☖同歩に☗1三歩と垂らす。☖同香なら☗同桂成☖同銀☗1六香打で先手が常に攻めている順に持ち込める。
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