ゴンダール時代(1632年~1855年)
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「エチオピアにおけるユダヤ人の歴史」の記事における「ゴンダール時代(1632年~1855年)」の解説
1620年代のスセニョス帝による征服後、ユダヤ人たちは土地を追われ、奴隷にされ、改宗を強制された。 加えてユダヤ教関連の書物やユダヤ人の著作は焚書され、ユダヤ教由来の様々な風習は忘れ去られた。[要出典] この弾圧の時代に、ユダヤ人の伝統的な風習、文化は失われるか、変質した。 しかし、ベタ・イスラエルのコミュニティはこの時期にも発展を続けた。エチオピア帝国の首都ゴンダールは、ベタ・イスラエル居住地域に囲まれていた。このためユダヤ人たちは16世紀以降、様々な分野で職人として活躍した。これは、職人がエチオピアでは伝統的に農民に比べて軽んじられていたためでもあった。 ヨーロッパ人による記録によれば、17世紀、エチオピアには100万人のユダヤ人が居住していた[要出典]。また、当時の記録によれば、17世紀時点でもエチオピアのユダヤ人たちの間でヘブライ語に関する知識はある程度残っていた。一例として、ポルトガルの外交官であり、冒険家でもあったマノエル・デ・アルメイダの記録を引用する。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0} エチオピアにはユダヤ人が居住している。一部はわが主の真の教えに目覚めているものの、多くは未だに目覚めておらず、かつては多くの地域に居住していた。その居住地域は現在のダムベア王国全域と、オガラ、セマン地方に及ぶ。(キリスト教の)帝国が現在よりも強大であった頃、帝国は(異教、またはイスラム教の)ガラ人による(東、南からの)圧迫を受けており、当時の皇帝は(ユダヤ人勢力を西に?)追いやり、ダムベア、オガラを征服した。しかしセマンではユダヤ人が激しく抵抗し、その抵抗は険しい地形と高い戦意に支えられていた。セタン・セクエド帝(スセニョス帝のこと)の時代に至るまで、多くの人々が反乱に加わった。セクエド帝はその治世の9年目にユダヤ人のギデオン王と戦い、19年目にサメンを攻撃、ギデオン王を殺害した。多くの兵士が殺され、残党は散り散りになって逃れた。その後大勢のユダヤ人が聖なる洗礼を受けたが、ほとんどはユダヤの教えを捨てず、それどころかユダヤ人の数は以前より多くなっていた。現在もダムベアを含む様々な地域にユダヤ人が居住している。彼らは織物やザグンチョス(槍のこと)、鍬などの鉄製品を作り、生計を立てている。彼らは金属加工の技術に優れているのだ。帝国とナイルに住むカフレス(黒人のこと)の領域との中間にユダヤ人は居住しており、ここでは彼らはファラーシャと呼ばれている。ファラーシャたちはアラブ人で、ひどく訛ったヘブライ語を話す。ヘブライ語の聖書を持ち、シナゴーグでは詩篇を歌う。 マノエル・デ・アルメイダの記録は詳細とはいえないものの、当時のユダヤ人たちの置かれた状況をある程度は記録することができている。特に当時ベタ・イスラエルの間でヘブライ語の知識が残っていたという事実は重要である。この知識は他の地域のユダヤ人との交流によって得られた知識であるとは考えにくい。したがって、エチオピア帝国による文化の破壊以前から存在した、ベタ・イスラエルの伝統に起源をもつと考えられる。また、スーダンのユダヤ人コミュニティに関する記述も興味深い。ただし、正確性に欠ける記述も見られる。一例として、ベタ・イスラエルはアラビア人ではないことが挙げられる。ただしこの文章は、単に彼らにアラビア語の知識があるということのみを意味している可能性もある。 ベタ・イスラエルの間に伝わるヘブライ語の知識については、スコットランド人探検家ジェームズ・ブルースも記録している。これについての記録は、1790年にエディンバラで出版された彼の旅行記、『Travels to Discover the Source of the Nile』の中に残されている。 18世紀末~19世紀前半、「諸公侯時代」と呼ばれる内紛時代が始まると、ベタ・イスラエルは経済面での優位を失った。帝国の首都はこの期間もゴンダールであったが、中央政府の弱体化と地方都市の伸長により、ベタ・イスラエルの経済力は弱体化し、さらに諸侯による搾取を受けた。 それまで経済的な理由から彼らを保護してきた政府が、もはや存在しなくなったのである。 40年ほど続いたこの時代、ユダヤ教は宗教そのものが事実上消滅し、1840年代まで復活しなかった。
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