カルテルの究極
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 17:08 UTC 版)
「欧州石炭鉄鋼共同体」の記事における「カルテルの究極」の解説
パリ条約第65条は原則としてカルテルを一切禁止する。過度経済力集中排除法にあたる規定も存在した。 しかし共同市場は産業の合理化に都合が良いから標榜されたのであって、参加国の独占資本には抜け道が用意してあった。共同体は、自らの権限で生産割当や価格制限をすることができたし、場合によってカルテルを認可することもできた(65条第2項)。認可された例は、西ドイツ製鐵メーカーのアメリカ炭輸入協定、イタリア・フランスの薄板・特殊鋼供給契約、そしてベルギーの鉄鋼カルテルである。認可の下りなかった例として、西ドイツ・イタリアの鉄くずカルテルがあるけれども、共同体全体でスクラップの共同輸入を1953年から1958年末にかけて行い、事実上そのカルテルを存続させた。共同体内に発生したスクラップには賦課金をかけ、輸入鉄くずに補償金を与えた。しかも鉄くずの使いすぎに罰金を課して、銑鉄使用に補助金を出した。 また、民間企業の設備投資は原則として各企業の自由であった。しかし共同体は五カ年計画のようなこともやった。民間企業から投資設計を報告させるなどして需要予測を立てた。それに照らして需給バランスに問題を認めるときは、警告したり自ら救済融資に動いたりすることができた。1957年に銑鉄が不足し鉄くずの消費が増大したときは、警告の上銑鉄部門に融資を行った。また、この数年後にわたり共同体は西ドイツ鉄鋼メーカーへ何度も融資をした。それは例えばザルツギッターへの1億マルク信用保証とか、ティッセン事業拡大への融資などである。この頃ちょうど共同体はクーン・ローブなどから多額の融資を受けており、外の金融カルテルとも関係していることが分かる(ベルギー#独立と永世中立国化を参照)。共同体は、生産割当・価格制限・情報共有というカルテルの伝統的な機能だけでなく、投資調整まで可能であった。 共同体の機関は最高機関、共同総会、閣僚特別理事会、司法裁判所の四部構成であるが、そのうち共同総会と司法裁判所は共同体の設立からほどなく欧州原子力共同体と共有された。欧州石炭鉄鋼共同体発足時は原子力大国フランスの発言力が大きかった。原子力問題省Bundesministerium für Atomfragen の設立とチュニジアの独立を経た後、1958年、西ドイツ下院で核武装が決議された。ボタンはNATO が持つことになった。これはニュークリア・シェアリングと呼ばれている。そしてこの頃、共同体は西ドイツ鉄鋼メーカーへ継続的に資金を提供していたのである。共同体は、投資調整と安全保障とエネルギー政策を不可分な形で担ったのである。 共同体内の鉄鋼業は国際輸出カルテルを結んでいた。1953年3月に発足したブラッセル・コンベンションである。原加盟国はフランス・ベルギー・ルクセンブルクであったが、同年9月オランダと西ドイツが参加した。いつしかイタリアも加盟した。協定品目は画期的、つまり鉄なら大体全部であった。罰金の徴収・管理は戦前から引続きスイス信託会社が請け負った。ブラッセル・コンベンションは共同体内よりも高い価格で輸出し、関税及び貿易に関する一般協定の総会で問題にされた。最高機関はブラッセル・コンベンションを条約違反と宣言したが、条約の規制する競争制限は共同体内に限り輸出は規制外という抗弁が通ってしまった。 1968年、ブラッセル・コンベンションはブラッセル体制を敷いた。そしてこの年にユーロクリアができたのである。
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