カメラ製品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 14:11 UTC 版)
カメラの老舗でもあり、戦前はライカに範を取り独自の機構を盛り込んだ「護国」「リコール」シリーズ等の高級カメラから、各種蛇腹カメラや35mmフィルム使用のコンパクトカメラの先駆ともいえる「オリンピック」シリーズ、各種軽便カメラ等の中級機から大衆機までを手広く製造した。 戦後は構造を単純化し製造を容易にした「リコーフレックスIII」が安価(6,500円)でよく写ると大評判になり、一時は店頭に行列が出来たりプレミアすらついたりと爆発的な売れ行きを示し、国産二眼レフカメラの大ブームの火付け役となった。リコーフレックスはその後次々と改良・シリーズ化され、高品質大衆カメラのリコーという印象を消費者に植え付けた。 一眼レフカメラの時代には、ペンタックスのカメラと互換性のあるプラクチカマウントやKマウントを採用したカメラを発売している。 1978年にはレンズ込み39,800円と画期的な低価格を実現した「リコーXR500」を発売、「リコーのサンキュッパ」のテレビCMを流して宣伝した。それまでプロカメラマンやマニアが持つものであった一眼レフカメラを普及させ、一眼レフ最多販売記録も作られた。XRシリーズはその後も改良が続けられロングセラーとなり、1980年には世界最軽量のAE一眼レフ「リコーXR7」、世界最軽量の一眼レフ用標準レンズ「XRリケノンF2」が発売。翌1981年に発売された「リコーXR6」とAFリケノン50mmF2レンズのセット「スクープアイ」は世界初のオートフォーカス一眼レフカメラとなった。また同年発売された「リコーXR-S」は世界初の太陽電池搭載一眼レフカメラである。 高い性能と比べて廉価な価格はアマチュアカメラマンの支持を得ており、同時に先進的な技術への挑戦を重ねているメーカーでもある。 デジタルカメラ時代になってからは、コンパクトデジタルカメラのエントリー機として2001年から2007年まで「キャプリオ」シリーズ、2005年からは高級コンパクトデジタルカメラというジャンルを開拓した「GRデジタル」シリーズを発売。 詳細は「リコーのカメラ製品一覧」および「リコーのデジタルカメラ製品一覧」を参照 2011年10月、HOYAよりPENTAXイメージング・システム事業を買収し、ペンタックスリコーイメージング株式会社を完全子会社として発足させた。ペンタックスのブランドと、デジタル一眼レフ機のKマウント機や645マウント機、ミラーレス一眼カメラのQマウント機などの多マウント展開を活かし、コンシューマー向け製品やサービスの強化に取り組む方針を打ち出した。 詳細は「ペンタックスのデジタルカメラ製品一覧」を参照 2012年4月1日、「RICOH」および「PENTAX」の双方のブランドのコンシューマー向けカメラ事業が、ペンタックスリコーイメージング株式会社(現:リコーイメージング株式会社)に集約された。
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カメラ製品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 09:57 UTC 版)
1926年頃から1950年代に十数種のカメラを製造販売したが、自社では製造せず、ほとんどはウェルタ・カメラヴェルクを下請けとしたOEMである。
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カメラ製品
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「アンスコ (アメリカ合衆国の企業)」の記事における「カメラ製品」の解説
初期には自製し高級木製カメラメーカーとして有名になったが、アグフアとの合併後はアグフア・ゲバルト、ミノルタ(現コニカミノルタ)、リコー、チノンなどからのOEMが主体となりまた大衆向けとなった。日本国内の代理店はシュリロ貿易(現シュリロトレーディング)だったが駒村商会でも取り扱いがあった。
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