ひょうきんベストテンとは? わかりやすく解説

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ひょうきんベストテン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:02 UTC 版)

オレたちひょうきん族のコーナー一覧」の記事における「ひょうきんベストテン」の解説

当時人気音楽番組『ザ・ベストテン』TBS系)のパロディコーナー。単発放送時のタイトルは『オレたちひょうきん族ザ・ベストテンであったが、レギュラー進出後に名称変更オープニング最初CMとを隔てて最初に登場したコーナーであったため、番組開始から約5分頃に放送コーナー放送時間(約15分)の制約上、本家同様に10位 - 1位全ての曲をフル歌唱紹介できないため、司会者挨拶の後に10位 - 4位の曲をフラッシュ形式発表し(1曲につき約10秒)、スポットライト挟んで上位3曲を紹介した番組前半放送していたのは、開始当時の裏番組『8時だョ!全員集合』前半コントと、本番組のメインコントである「タケちゃんマン」が両方見られるように配慮したためとされる初期司会は、明石家さんま黒柳徹子声色を使う栗山順子担当したが、レギュラー進出機に島田紳助山村美智子交代紳助コーナー終了まで続投山村降板以後寺田理恵子長野智子後輩アナウンサー紳助パートナー代々引き継いだ当時NHK含めテレビ局アナウンサーニュース天気を読むことが中心であり、バラエティ番組出演することは滅多になかった。だが、このコーナーに局の女性アナウンサー出演したことで、その後女子アナウンサータレント化に先鞭をつけるとなった加えて山村寺田はこれが縁でレコードデビュー果たしている。 また、紳助司会者として基礎築いたコーナーでもあり、後に紳助は『歌のトップテン』(日本テレビ系)において和田アキ子二人で本物歌謡ランキング番組司会者起用された。さらに長野フリー転向後、『ザ・ベストテン』番組終了後1991年3月から約1年間放送され『思い出のベストテン』TBS系)の司会役を務めたほか、1991年10月特別番組放映『今夜だけ!ご本家復活ザ・ベストテンスペシャル』同年12月特番放送『総決算!ザ・ベストテン1991年末スペシャル』(共にTBS系でも、山田邦子と共に司会務めたスタート当初こそ、レギュラー出した曲でランキング形成しスクールメイツ代わりに東京花柳社中を使うなどの忠実なパロディであったが、途中からレギュラーによる歌真似片岡鶴太郎による近藤真彦山田邦子による松任谷由実松尾伴内による五輪真弓など)と、一般タレントゲスト芸人普通に登場させツッコミ無しに歌を歌わせる稲川淳二による西城秀樹坂田利夫による田原俊彦ウイリー沖山による吉川晃司等)事が中心になった。「西川のりおフラワーダンシングチーム」(安全ヘルメット革靴海パン一丁)が初登場した1983年以降ゲスト歌っている最中驚かせたり笑わせる、といったのが定番となっていた。フラワーダンシングチームが「すもうダンサーズ」に変身した以降も、「バレリーナ団」や「ちょうちんブルマーズ」、片岡鶴太郎らが瀬戸わんや扮した「ピヨコ隊」(アヒル衣装)など、基本的な系統引き継がれた。西川のりおがひょうきんベストテン毎週出るようになったのは、フラワーダンシングチーム結成されてからである。本物歌手も数組登場していたが、中には本家に殆ど出演したことのない歌手イエロー・マジック・オーケストラオフコース等)が登場したこともあり話題となった。なお、オープニングテーマ曲には「WITH THE FORCE OF NATURE」(高橋達也と東京ユニオン)が使われた。 セット鏡張り回転扉、1位になった歌手対す紙吹雪風船はない)での祝福再現されていたが、ランクインした“歌手”が出演しない場合は、笑い屋の笑い声バック猛スピード回される扉と扉を回すスタッフの手映ったほか、天井から「紙雪崩」とでも言うべきほどの大量紙吹雪降り注いだ。 主にベスト3やスポットライト基本的に女性アイドルなどのゲスト初期レギュラー出していた歌が中心)に選ばれた人が歌っていた。しかし、ランキング基準リクエストはがきのみ(「○○票」という数え方をしていた)だったが、歌う人数少なかったなおかつ本家ベストテン』や『トップテン』にもランクインしない曲が1位になったり、スポットライト登場した歌手の曲が次週に必ずランクインするなど、番組スタッフ出演者好き勝手にやっていた。また、本家において洋楽曲ランキング対象外であったが、このコーナーでは洋楽曲ランクインしていた。 『笑っていいとも!』等の収録後スタジオアルタ日本武道館等と見立て中継もしていた。歌っている最中天井から風船などが降ってくる、水上スキー乗って歌っている最中牽引しているボートからロープ切られ水中転落するなど笑いを取る演出行われた。 この番組から生まれたオリジナル曲から一般音楽界に名を知らしめた曲も少ないながら実は存在する安岡力也一時期タケちゃんマン」に出演していた頃に演じていたキャラクターホタテマン」に扮して歌った内田裕也作詞プロデュース曲ホタテロックンロール」がその代表例。あまりの好評ぶりからシングル発売され32万枚セールス記録しついにはホタテマンサッポロ一番CM起用され歌唱する事態となったまた、松戸競輪は「ベストテン等は無理だどひょうきんベストテンなら200票あればランクインできる!」と組織票呼びかけた。結果松戸競輪テーマ走れ!自転車」は念願ランクイン1983年7月9日放送分で第4位)を果たした2009年7月25日7月26日放送の『FNSの日26時間テレビ2009笑顔パレード爆笑!お台場合宿〜』にて約21年ぶりに復活し司会レギュラー時代および『26時間テレビ総合司会島田紳助コーナーでの表記は「紳助」)、中村仁美担当した。また中村が、「20年ぶりのひょうきんベストテン」という発言をしたが、このコーナー1988年終了しているため、実質的に21年ぶり(約20年ぶり)であったまた、この日の放送紳助発言したところでは、仕掛け制作当時から全てドッキリだったらしい。 エンディングでは、本家同様の記念撮影もあった。初期は、まともに記念撮影が行われていたが、後にシャッター切った瞬間煙幕上がるなど記念撮影の意味がなくなる演出恒例となっていた。またラサール石井によると、ベストテンエンディング収録毎週8時間かかっており、主にぼんちおさむイジリ多かったという。

※この「ひょうきんベストテン」の解説は、「オレたちひょうきん族のコーナー一覧」の解説の一部です。
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