ひょうきんベストテン
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「オレたちひょうきん族のコーナー一覧」の記事における「ひょうきんベストテン」の解説
当時の人気音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)のパロディコーナー。単発放送時のタイトルは『オレたちひょうきん族ザ・ベストテン』であったが、レギュラー進出後に名称変更。オープニングと最初のCMとを隔てて、最初に登場したコーナーであったため、番組開始から約5分頃に放送。コーナー放送時間(約15分)の制約上、本家と同様に10位 - 1位全ての曲をフル歌唱で紹介できないため、司会者の挨拶の後に10位 - 4位の曲をフラッシュ形式で発表し(1曲につき約10秒)、スポットライトを挟んで上位3曲を紹介した。番組の前半に放送していたのは、開始当時の裏番組『8時だョ!全員集合』の前半コントと、本番組のメインコントである「タケちゃんマン」が両方見られるように配慮したためとされる。 初期の司会は、明石家さんまと黒柳徹子の声色を使う栗山順子が担当したが、レギュラー進出を機に島田紳助と山村美智子に交代。紳助はコーナー終了まで続投、山村の降板以後は寺田理恵子、長野智子と後輩アナウンサーが紳助のパートナーを代々引き継いだ。 当時、NHKも含めテレビ局のアナウンサーはニュースや天気を読むことが中心であり、バラエティ番組に出演することは滅多になかった。だが、このコーナーに局の女性アナウンサーが出演したことで、その後の女子アナウンサーのタレント化に先鞭をつける形となった。加えて、山村や寺田はこれが縁でレコードデビューも果たしている。 また、紳助の司会者としての基礎を築いたコーナーでもあり、後に紳助は『歌のトップテン』(日本テレビ系)において和田アキ子と二人で、本物の歌謡ランキング番組の司会者に起用された。さらに長野はフリー転向後、『ザ・ベストテン』番組終了後の1991年3月から約1年間放送された『思い出のベストテン』(TBS系)の司会役を務めたほか、1991年10月に特別番組で放映の『今夜だけ!ご本家復活ザ・ベストテンスペシャル』、同年12月に特番放送の『総決算!ザ・ベストテン1991年末スペシャル』(共にTBS系)でも、山田邦子と共に司会を務めた。 スタート当初こそ、レギュラーの出した曲でランキングを形成し、スクールメイツの代わりに東京花柳社中を使うなどの忠実なパロディであったが、途中からレギュラーによる歌真似(片岡鶴太郎による近藤真彦、山田邦子による松任谷由実、松尾伴内による五輪真弓など)と、一般のタレントやゲスト芸人を普通に登場させツッコミも無しに歌を歌わせる(稲川淳二による西城秀樹、坂田利夫による田原俊彦、ウイリー沖山による吉川晃司等)事が中心になった。「西川のりおとフラワーダンシングチーム」(安全ヘルメットに革靴、海パン一丁)が初登場した1983年以降はゲストが歌っている最中に驚かせたり笑わせる、といったのが定番となっていた。フラワーダンシングチームが「すもうダンサーズ」に変身した以降も、「バレリーナ団」や「ちょうちんブルマーズ」、片岡鶴太郎らが瀬戸わんやに扮した「ピヨコ隊」(アヒル型衣装)など、基本的な系統は引き継がれた。西川のりおがひょうきんベストテンで毎週出るようになったのは、フラワーダンシングチームが結成されてからである。本物の歌手も数組登場していたが、中には本家に殆ど出演したことのない歌手(イエロー・マジック・オーケストラ、オフコース等)が登場したこともあり話題となった。なお、オープニングのテーマ曲には「WITH THE FORCE OF NATURE」(高橋達也と東京ユニオン)が使われた。 セットや鏡張りの回転扉、1位になった歌手に対する紙吹雪(風船はない)での祝福も再現されていたが、ランクインした“歌手”が出演しない場合は、笑い屋の笑い声をバックに猛スピードで回される扉と扉を回すスタッフの手が映ったほか、天井から「紙雪崩」とでも言うべきほどの大量の紙吹雪が降り注いだ。 主にベスト3やスポットライト(基本的に女性アイドルなどのゲスト初期はレギュラーが出していた歌が中心)に選ばれた人が歌っていた。しかし、ランキングの基準はリクエストはがきのみ(「○○票」という数え方をしていた)だったが、歌う人数も少なかった。なおかつ、本家『ベストテン』や『トップテン』にもランクインしない曲が1位になったり、スポットライトに登場した歌手の曲が次週に必ずランクインするなど、番組スタッフ・出演者の好き勝手にやっていた。また、本家において洋楽曲はランキングの対象外であったが、このコーナーでは洋楽曲もランクインしていた。 『笑っていいとも!』等の収録後のスタジオアルタを日本武道館等と見立て中継もしていた。歌っている最中に天井から風船などが降ってくる、水上スキーに乗って歌っている最中、牽引しているボートからロープを切られて水中に転落するなど笑いを取る演出も行われた。 この番組から生まれたオリジナル曲から一般の音楽界に名を知らしめた曲も少ないながら実は存在する。安岡力也が一時期「タケちゃんマン」に出演していた頃に演じていたキャラクター「ホタテマン」に扮して歌った、内田裕也の作詞・プロデュース曲「ホタテのロックンロール」がその代表例。あまりの好評ぶりからシングルが発売され、32万枚のセールスを記録し、ついにはホタテマンがサッポロ一番のCMに起用され歌唱する事態となった。 また、松戸競輪は「ベストテン等は無理だけどひょうきんベストテンなら200票あればランクインできる!」と組織票を呼びかけた。結果、松戸競輪のテーマ「走れ!自転車」は念願のランクイン(1983年7月9日放送分で第4位)を果たした。 2009年7月25日・7月26日放送の『FNSの日26時間テレビ2009 超笑顔パレード〜爆笑!お台場合宿〜』にて約21年ぶりに復活し、司会もレギュラー時代および『26時間テレビ』総合司会の島田紳助(コーナーでの表記は「森紳助」)、中村仁美が担当した。また中村が、「20年ぶりのひょうきんベストテン」という発言をしたが、このコーナーは1988年に終了しているため、実質的には21年ぶり(約20年ぶり)であった。 また、この日の放送で紳助が発言したところでは、仕掛けは制作当時から全て「ドッキリ」だったらしい。 エンディングでは、本家と同様の記念撮影もあった。初期は、まともに記念撮影が行われていたが、後にシャッターを切った瞬間に煙幕が上がるなど記念撮影の意味がなくなる演出が恒例となっていた。またラサール石井によると、ベストテンのエンディング収録は毎週8時間かかっており、主にぼんちおさむイジリが多かったという。
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