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じょうべのま遺跡

名称: じょうべのま遺跡
ふりがな しょうべのまいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 富山県
市区町村 下新川郡入善町
管理団体
指定年月日 1979.05.14(昭和54.05.14)
指定基準 史6
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S53-06-012じょうべのま遺跡.txt: 本遺跡は、富山湾岸の東端部、黒部川右岸扇状地末端近く海岸線に接して所在する平安初期荘家跡である。
 昭和45年から昭和48年にかけて入善町教育委員会は、同町北部の土地改良事業実施に先だち、4次にわたる緊急発掘調査を行なってきたが、その結果二間五間南廂(柱間メートル以上)の東西棟を主屋とする建築遺構中心に、6期にわたって建替え認められる南北棟の脇屋大部分柱間メートル以上、廂・間仕切り等を備えるものあり)が東西配置され、これらを囲む柵列・溝、更に海岸に面して潟の痕跡、その他の建築遺構検出された。また、出土遺物多数土師器須恵器木器と共に文書木簡、「西庄」と読める墨書土器数点、緑釉灰釉陶器風字硯、杯硯等を検出、木遺構平安初期荘家跡中心とする遺跡であることが判明すると共に、その荘家機能一つとして荘園物資海上輸送基地としての性格加味されるに至った。
 この地方荘園としては、奈良時代いらい東大寺領[[丈部]はせつかべ]荘、[[大]おおやぶ]荘、西大寺領[[佐味]さみ]荘、平安鎌倉時代には東大寺領[[入善]にゅうぜん]荘等が置かれたことが文献によって知られているが、本遺跡については上記調査過程においても東大寺領・西大寺領の両説提起され未だ確定をみない。
 入善町教育委員会は、このような事態対処して昭和49年第5次の発掘調査荘家跡建築遺構周辺に対して行ない、若干建築遺構のほか、注目すべきものとして「丈部上白五斗」と認め付札木簡等の検出をみた。もちろん、これによって本遺跡丈部荘と断定するのは早計であるが、墨書土器の「西庄」から西大寺領説を導き出すことにも難があり、「西庄」はむしろ「東庄」に対するものと考えるのも自然であるから、「丈部丸」から丈部集団存在想定されるとすれば、本遺跡丈部西庄として東大寺領であった可能性がないとはいえない。
 したがって本遺跡は、今後における発掘調査期すべき点が多いのであるが、先に指定した東大寺領横江荘荘家跡石川県)、高瀬遺跡富山県と共に奈良時代から平安時代にかけての南都大寺荘園支配動向考え上で重要な遺跡であり、周辺部に鎌倉時代遺構若干検出されているが、今回平安初期荘家跡中心とする部分指定保存する。






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