2011年のル・マン24時間レース 決勝

2011年のル・マン24時間レース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 23:18 UTC 版)

決勝

総合順位2位となったプジョー・908の9号車
GTE-Amクラス優勝したラルブル・コンペティションのコルベット50号車

レース開始前の時点で、多くのチームはすでにそれぞれ異なる戦略をとっていた。アウディ陣営は、アウディ・R18 TDIの燃料タンクは11周より長い周回分までは保たせられないため、燃費よりスピードとダウンフォースを優先する戦略を取ることを決断した。プジョー陣営は、プジョー・908がドラッグ(空気抵抗)を低くしたデザインのため、同じ容量の燃料タンクで12周走行することができた。1周あたりの燃費が劣ることにより、アウディ陣営はプジョー陣営より24時間で計算上ピットストップを2回多くこなさなければならなかった。この計算は、アウディが勝利するためには、アウディ陣営に1周平均0.5秒プジョー・908より速く走らせることを強いるものであった。2008年から2010年までのレースで、プジョーの速いペースに対してアウディが信頼性や燃費やタイヤに優しい走行により勝利してきたそれまでの歴史的構図が、そっくり逆になった。

レース開始10分足らずの時間帯で、ピットから出たばかりのアントニー・ベルトワーズが乗るGTE Proクラスのフェラーリ・458イタリア58号車がピットレーントラックにちょうど合流しようとした時、アラン・マクニッシュがドライブするアウディ3号車が衝突して、3号車がダンロップ・ブリッジ近くでバリアにぶつかり横転した[22]。マクニッシュは5番グリッドからスタートして、事故当時2周を周回して2位で走行中であった。事故は大変大きなもので、事故車のアウディ3号車はタイヤウォールにぶつかった後、空中に舞い上がり、グラベルトラップを超えて落下する程であった。アウディ3号車が実質的に破壊された後、マクニッシュは特にけがもなく車から出て歩き去り、ベルトワーズは車のボディフレームにダメージを受けながらもサーキットのトラックに合流していった[23]BMWM3勢がダンロップ・ブリッジに到達した時、グリップに問題を抱えていてもがいている最中だった。GTE Proクラスのシボレー・コルベット C6.Rの74号車に乗るオリバー・ギャビンはすでにクラス内のトップに上がっていた。マクニッシュの事故による早急なセーフティカーの導入は、ギャビンに大きなアドバンテージを与え、後続との差をほぼ1周まで拡げることになった。アウディ2号車はその間、不足分の1回のピットストップをこなしたが、まだプジョー勢にリードを保っていた。トータルで4時間46分というセーフティカーの導入時間は、結局プジョーが持っていたアウディに対する燃費面でのアドバンテージを打ち消す効果があった。

レース開始より8時間が経過し夜間セッションに入った時間帯、ミュルサンヌとインディアナポリス・コーナーの間の高速区間でアウディ1号車に乗るマイク・ロッケンフェラーが周回遅れのフェラーリ71号車を追い抜こうとした時に、71号車に追突後ガードレールに激突して大破するという大きな事故が起きた[22][20]。幸いにも今回の事故も、ドライバーのロッケンフェラーは1号車より歩いて現場から立ち去ることができた[24]。事故後、クラッシュでガードレールに大規模な損害が出たため2度目のセーフティカー導入となり、2時間以上ものセーフティカーの走行が続いた。夜間の長時間のセーフティカー走行は、タイヤの空気圧が維持されてタイヤ交換の頻度を抑えられ、燃費についても抑制効果をもたらした。

夜明けまで、コルベット74号車に乗るヤン・マグヌッセンはGTE Proクラス2位のAFコルセのフェラーリ51号車に2周以上の差を付けていて、首位の座を固めようとしていた。しかしながら8時頃、ポルシェ・カーブでマグヌッセンはトラクションを失って、プロトンのポルシェ・997 GT3-RSR63号車に衝突した。両者は直ちにリタイアすることとなった。7時間に渡って、AFコルセのフェラーリ51号車はコルベット73号車に最大1周以上の差を付けて、首位の座を守っていた。レース終盤サーキットはかすかな霧雨で濡れた路面となったが、コルベットは1周あたり2秒を詰めてフェラーリに迫ってきた。フェラーリが2スティントでドライバー交代するのに対し、コルベットは3スティントまで保たせて追いかけてきた。コルベットの方が2倍燃費が悪いのに、73号車のチームのトータルでのピットストップ所要時間は2分55秒もAFコルセより早かった。これらのペースのアドバンテージを積み重ねは、コルベットにクラストップを奪わせるのに充分なものになった。最後のスティントをまかされて73号車に乗ったアントニオ・ガルシアは、コルベットに事実上のル・マンでの最初のGT2のクラス優勝を決めるゴールラインを駆け抜けた。

首位を走るアウディと3台から成るプジョー勢との差は全く変わらなかった。それは、アウディ・R18がプジョーに燃費で勝る走行ができないせいでもあるが、アウディが3スティントしか保たせられないタイヤをプジョーは4スティントまで保たせられるからであった。4台の順位変動はピットストップによる一時的なものぐらいであった。だが、その4台の白熱したバトルの構図も、プジョー8号車がピットストップ時の作業規則違反から1分間のピットストップ・ペナルティを受けることにより、その一角が崩れることになった[20]。計算上のピットストップのサイクルによれば、アドバンテージはプジョー7号車にあるとなっていたが、アレクサンダー・ヴルツがインディアナポリス・コーナーでブレーキミスによりコースアウトしてバリアに激突してその計算を無駄にしてしまい、結果として3ラップも遅れをとることになった[20]。レース残り数時間の接近した戦いの後、レースの行方は最後のピットストップの対応に委ねられることになる。アウディ2号車に乗るアンドレ・ロッテラーにはピット作業に時間をかけてもプジョーに順位を奪われない程の充分に大きなリードがあった。アウディは直前(最後から2番目)のピットストップの後、40秒のリードがあったが、徐々に空気が抜けるスロー・パンクチャーでスタートしていた。最後のピットストップでアウディは、給油のほかにタイヤ交換も行なわれたが、プジョー陣営のプジョー9号車に乗るシモン・パジェノーの最後のピットストップでは給油のみであった。フレッシュタイヤで、ロッテラーは徐々にプジョーを引き離し、パジェノーに13秒854の差を付けて、ゴールラインを駆け抜けた。最終ラップを全速力で走行するのは1969年のレース以来であり、2位との差は、ル・マン24時間レースの歴代4番目に接近したものであった。最終ラップにマーシャルがトラック内で旗を振ってレースの終了を告げる伝統的な行為も、今回はなくなった。優勝車がスローダウンして最終ラップを周回するセレモニーも今回は見られなかった。

アウディは、通算10回目となる優勝を達成し、フェラーリの通算9回を抜いてポルシェの優勝16回に次ぐ優勝回数歴代2位となった[24]

決勝結果

各クラスの勝者は太字で表示。優勝ラップ数の70%(249周)に満たない車両は非完走 (NC) で表示[25]

順位 クラス 車番 チーム ドライバー シャシー タイヤ 周回数
エンジン
1 LMP1 2 アウディ・スポーツチーム ヨースト アウディ・R18 TDI M 355
アウディ TDI 3.7 L ターボ V6
(ディーゼル)
2 LMP1 9 チームプジョートタル プジョー・908 M 355
プジョー HDi 3.7 L ターボ V8
(ディーゼル)
3 LMP1 8 プジョースポール・トタル プジョー・908 M 353
プジョー HDi 3.7 L ターボ V8
(ディーゼル)
4 LMP1 7 プジョースポール・トタル プジョー・908 M 351
プジョー HDi 3.7 L ターボ V8
(ディーゼル)
5 LMP1 10 チーム・オレカ-マットムート プジョー・908 HDi FAP M 339
プジョー HDi 5.5 L ターボ V12
(ディーゼル)
6 LMP1 12 レベリオン・レーシング ローラ・B10/60 M 338
トヨタ RV8KLM 3.4 L V8
7 LMP1 22
  • クロノス・レーシング
  • マルクVDSレーシングチーム
ローラ・アストンマーティン B09/60 M 328
アストンマーティン 6.0 L V12
8 LMP2 41 グリーヴス・モータースポーツ
  • カリム・オッジェフ
  • オリビエ・ロンバール
  • トム・キンバー=スミス
ザイテック・Z11SN D 326
日産 VK45DE 4.5 L V8
9 LMP2 26 シグナテック 日産 オレカ・03 D 320
日産 VK45DE 4.5 L V8
10 LMP2 33 レベル5・モータースポーツ ローラ・B08/80 M 319
HPD HR28TT 2.8 L ターボ V6
11 LMGTE Pro 73 コルベット・レーシング シボレー・コルベット C6.R M 314
コルベット 5.5 L V8
12 LMP2 36 RML HPD ARX-01d D 314
HPD HR28TT 2.8 L ターボ V6
13 LMGTE Pro 51 AFコルセ SRL フェラーリ・458イタリア・GT2 M 314
フェラーリ 4.5 L V8
14 LMP2 49 オーク・レーシング
オーク ペスカロロ・01 D 313
ジャッド-BMW HK 3.6 L V8
15 LMGTE Pro 56 BMW・モータースポーツ BMW・M3 GT2 D 313
BMW 4.0 L V8
16 LMGTE Pro 77 チーム・フェルバーマイヤー・プロトン ポルシェ・997 GT3-RSR M 312
ポルシェ 4.0 L フラット6
17 LMGTE Pro 76 IMSA・パフォーマンス・マットムート
ポルシェ・997 GT3-RSR M 311
ポルシェ 4.0 L フラット6
18 LMGTE Pro 80 フライングリザード・モータースポーツ ポルシェ・997 GT3-RSR M 310
ポルシェ 4.0 L フラット6
19 LMP2 40 レース・パフォーマンス
  • ミシェル・フレイ
  • ラルフ・マイクトリ
  • マルク・ロスタン
オレカ・03 D 304
ジャッド-BMW HK 3.6 L V8
20 LMGTE Am 50 ラルブル・コンペティション
シボレー・コルベット C6.R M 302
コルベット 5.5 L V8
21 LMGTE Am 70 ラルブル・コンペティション
ポルシェ・997 GT3-RSR M 301
ポルシェ 4.0 L フラット6
22 LMGTE Pro 65 ロータス ジェットアライアンス ロータス・エヴォーラ GTE M 295
トヨタ-コスワース 4.0 L V6
23 LMGTE Pro 75 プロスピード・コンペティション
ポルシェ・997 GT3-RSR M 293
ポルシェ 4.0 L フラット6
24 LMGTE Pro 66 JMW・モータースポーツ フェラーリ・458イタリア・GT2 D 290
フェラーリ 4.5 L V8
25 LMP2 35 オーク・レーシング
  • フレデリック・ダ・ロシャ
  • パトリス・ラファルグ
  • アンドレア・バルレシ
オーク ペスカロロ・01 D 288
ジャッド-BMW HK 3.6 L V8
26 LMGTE Am 68 ロバートソン・レーシング LLC
  • デビッド・ロバートソン
  • アンドレア・ロバートソン
  • デビッド・マリー
フォード・GT-R マークVII M 285
フォード 5.0 L V8
27 LMGTE Am 83 JMB・レーシング
  • マヌエル・ロドリゲス
  • ジャン=マルク・メナエム
  • ニコラ・マロック
フェラーリ・F430 GTE D 272
フェラーリ 4.0 L V8
NC LMP2 44 エクストレーム・リミット・AM・パリ
  • ファビアン・ロシエ
  • フィリップ・アエゼブルック
  • ジャン=ルネ・ド・フォルヌー
ノルマ M200P D 247
ジャッド-BMW HK 3.6 L V8
DNF LMP1 16 ペスカロロ・チーム ペスカロロ・01 M 305
ジャッド GV5 S2 5.0 L V10
DNF LMGTE Pro 55 BMW・モータースポーツ BMW M3 GT2 D 276
BMW 4.0 L V8
DNF LMGTE Pro 74 コルベット・レーシング シボレー・コルベット C6.R M 211
コルベット 5.5 L V8
DNF LMGTE Am 81 フライングリザード・モータースポーツ
  • セス・ネイマン
  • ダレン・ロー
  • スペンサー・パンペリー
ポルシェ・997 GT3-RSR M 211
ポルシェ 4.0 L フラット6
DNF LMP2 48 チーム・オレカ・マットムート
オレカ・03 M 200
日産 VK45DE 4.5 L V8
DNF LMGTE Am 63 プロトン・コンペティション
  • ホルスト・フェルバーマイヤー・ジュニア
  • ホルスト・フェルバーマイヤー・シニア
  • クリスティアン・リート
ポルシェ・997 GT3-RSR M 199
ポルシェ 4.0 L フラット6
DNF LMP1 13 レベリオン・レーシング ローラ・B10/60 M 190
トヨタ RV8KLM 3.4 L V8
DNF LMGTE Am 61 AFコルセ SRL
  • ピエールジュセップ・ペラツィーニ
  • マルコ・チョッチ
  • ショーン・ポール・ブレスリン
フェラーリ・F430 GTE M 188
フェラーリ 4.0 L V8
DNF LMGTE Pro 59 ラグジュアリー・レーシング フェラーリ・458イタリア・GT2 M 183
フェラーリ 4.5 L V8
DNF LMGTE Pro 71 AFコルセ
フェラーリ・458イタリア・GT2 M 178
フェラーリ 4.5 L V8
DNF LMGTE Pro 88 チーム・フェルバーマイヤー・プロトン
ポルシェ・997 GT3-RSR M 169
ポルシェ 4.0 L フラット6
DNF LMP2 42 ストラッカ・レーシング
HPD ARX-01d M 144
HPD HR28TT 2.8 L ターボ V6
DNF LMGTE Am 60 ガルフ AMR ミドルイースト
アストンマーティン・ヴァンテージ GT2 D 141
アストンマーティン 4.5 L V8
DNF LMP2 39 ペコム・レーシング ローラ・B11/40 M 139
ジャッド-BMW HK 3.6 L V8
DNF LMGTE Pro 89 ハンコック チーム・ファルンバッヒャー
フェラーリ・458イタリア・GT2 H 137
フェラーリ 4.5 L V8
DNF LMGTE Pro 58 ラグジュアリー・レーシング
フェラーリ・458イタリア・GT2 M 136
フェラーリ 4.5 L V8
DNF LMGTE Pro 64 ロータス ジェットアライアンス
  • オスカル・スリンヘルラント
  • マーティン・リッチ
  • ジョン・ハートショーン
ロータス・エヴォーラ GTE M 126
トヨタ-コスワース 4.0 L V6
DNF LMGTE Am 57 クローン・レーシング
フェラーリ・F430 GTE D 123
フェラーリ 4.0 L V8
DNF LMP1 24 オーク・レーシング
オーク ペスカロロ・01 D 119
ジャッド DB 3.4 L V8
DNF LMP1 1 アウディ・スポーツチーム ヨースト アウディ・R18 TDI M 116
アウディ TDI 3.7 L ターボ V6
(ディーゼル)
DNF LMP1 5 ホープ・レーシング オレカ・01 M 115
スイス・ハイテク 2.0 L ハイブリッド ターボ I4
DNF LMGTE Am 62 CRS・レーシング
  • ピエール・エーレット
  • ショーン・ライン
  • ロジャー・ウィルス
フェラーリ・F430 GTE M 84
フェラーリ 4.0 L V8
DNF LMP1 15 オーク・レーシング オーク ペスカロロ・01 D 80
ジャッド DB 3.4 L V8
DNF LMGTE Pro 79 Jota アストンマーティン・ヴァンテージ GT2 D 74
アストンマーティン 4.5 L V8
DNF LMP1 20 クイフェル-ASM・チーム ザイテック 09SC D 48
ザイテック ZG348 3.4 L V8
DNF LMP1 3 アウディ・スポーツ ノースアメリカ アウディ・R18 TDI M 14
アウディ TDI 3.7 L ターボ V6
(ディーゼル)
DNF LMP1 007 アストンマーティン・レーシング アストンマーティン・AMR-One M 4
アストンマーティン 2.0 L ターボ I6
DNF LMP1 009 アストンマーティン・レーシング
アストンマーティン・AMR-One M 2
アストンマーティン 2.0 L ターボ I6

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