貞元親王 貞元親王の概要

貞元親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/21 04:00 UTC 版)

貞元親王
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 不詳
薨去 延喜9年11月26日910年1月10日
別名 閑院親王
官位 四品上野太守
父母 父:清和天皇、母:藤原仲統の娘
兄弟 陽成天皇、貞固親王、貞元親王貞保親王、貞平親王、貞純親王、孟子内親王、包子内親王、敦子内親王貞辰親王識子内親王貞数親王貞真親王、貞頼親王、源長猷、源長淵、源長監、源長頼、源載子
藤原基経の娘
源兼忠、源兼信、藤原興嗣室
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経歴

清和朝貞観15年(873年親王宣下される。光孝朝末の仁和3年(887年四品上野太守に叙任された。

醍醐朝延喜9年(910年)11月26日薨去

勅撰歌人として、『後撰和歌集』に和歌作品2首が採録されている[2]

伝承

千葉県君津市貞元の「貞元親王墓」

現在の千葉県君津市には、貞元親王が故あって上総国に下向し、当地で没したとする伝承がある。伝承地は、江戸時代には周淮郡貞元村と呼ばれており、貞元(さだもと)という町名が今に伝わっている。

1678年延宝6年)に貞元村に建立された貞元親王墓(ていげんしんのうはか)は、1970年9月21日に君津市指定文化財に指定された[3]

また、貞元出身の歌人平野峯郎が作詞した君津市立貞元小学校校歌(1963年制定)は、「清和の昔 貞元の みこがおわせし この郷に」から始まる歌詞となっている[4]

「滋野氏の祖」説

信濃国から発祥した滋野氏(およびその末裔を称する海野氏根津氏望月氏など)の発祥については諸説あるが、その中に清和天皇と系譜を結びつけるものがある。

『群書系図部集』では、貞元親王を滋野氏の祖と記している。なお、滋野氏の祖については貞保親王(清和天皇第四皇子)に求めるものなど諸説ある。

長野県東御市本海野の白鳥神社は、主祭神を日本武尊とするが、貞元親王・善淵王・海野広道公を滋野氏海野氏の祖先として祭る。

官歴

注記のないものは『日本三代実録』による。

系譜

尊卑分脈』による。

脚注

関連項目


  1. ^ 江戸時代東山天皇の第六皇子・直仁親王が創設した宮号「閑院宮」と大きな関係性はない。
  2. ^ 『勅撰作者部類』
  3. ^ 君津市の文化財・記念物”. 君津市. 2019年1月7日閲覧。
  4. ^ 校歌”. 君津市立貞元小学校. 2019年2月14日閲覧。
  5. ^ 『日本紀略』


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