青鞜社 青鞜社の概要

青鞜社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/26 07:33 UTC 版)

1912年、青鞜社にて撮影。前列左から田辺操、物集和子、一人おいて、小林哥津。後列左から木内錠子、平塚らいてう、中野初子、石井(和田)光子、小磯とし子。

概要

「青鞜」の語は、18世紀のロンドンで、文芸愛好家女性の会ブルー・ストッキングス・ソサエティ英語版のメンバーが、伝統的な黒のシルクではなく青色の靴下(実際は灰色の梳毛糸のもの)などのカジュアルな服装で集まっていたことに由来する。そのことから英語で Blue stockings は知的な女性を意味する。

青鞜社発起人は木内錠、平塚明子(らいてう)、物集和子、中野初、保持研子で、当初の事務所は本郷区駒込林町9番地の物集和子宅であった。会員は発起人と、与謝野晶子を含む賛助員7名、社員18名[1]

9月の『青鞜』創刊号には、次のような声明が掲載された。

元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く病人のような蒼白い顔の月である。私共は隠されて仕舞った我が太陽を今や取り戻さねばならぬ。
平塚らいてう『青鞜発刊に際して』

社則第1条は次のとおりである。

本社は女流文学の発達を計り、各自天賦の特性を発揮せしめ、他日女流の天才を生まむ事を目的とする。
青鞜社『社概則』第1条

第1次世界大戦による洋紙価格の高騰、1914年の平塚の引退・出産、後の編集人伊藤野枝大杉栄の愛人関係、原田皐月の堕胎論の発禁処分などが重なり、青鞜は1915年(大正4年)6号をもって発刊が停止し、青鞜社も事実上解散となった。

機関誌『青鞜』

小説短歌俳句戯曲の外、エドガー・アラン・ポーモーパッサンイプセンメレシュコフスキーチェーホフなどを含むヨーロッパ・ロシア文学の翻訳及び評論が掲載。

主な社員

脚注

出典
註釈

関連項目

参考文献

外部リンク

  • 青鞜【全号まとめ】(国立国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開)。「目次」より各号に遷移。



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