鍋島直孝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 06:32 UTC 版)
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生涯
第9代佐賀藩主・鍋島斉直の五男として生まれる。弟に鍋島直永(第8代鹿島藩主)、鍋島直正(第10代佐賀藩主)、鍋島直賢(第10代鹿島藩主)らがいる。鍋島直正(実弟の直正とは別人)の養子となり、餅ノ木鍋島家(鹿島鍋島家分家)の10代当主となった。石高5000石。
杏葉館と号し、朝顔の栽培家として名を成した。嘉永7年、「朝顔三十六花撰」に序文を書いている。52歳(満50歳)で没し、江戸二本榎の広岳院に葬られた。
江戸幕府役職履歴
- 天保3年(1832年)12月5日、寄合より火事場見廻。
- 天保10年(1839年)4月7日、寄合肝煎。
- 天保13年(1842年)7月1日、小普請組支配。
- 天保14年(1843年)10月10日、町奉行。
- 嘉永元年(1848年)11月8日、大番頭。
- 嘉永2年(1849年)12月13日、辞。
脚注
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- 1 鍋島直孝とは
- 2 鍋島直孝の概要
固有名詞の分類
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