豊島美雪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/13 21:57 UTC 版)
とよしま みゆき 豊島 美雪 | |
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プロフィール | |
出身地 |
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生年月日 | 1960年11月24日(63歳) |
最終学歴 | 神戸大学中退 |
活動期間 | 1979年 - |
担当番組・活動 | |
来歴・人物
大阪府大阪市出身[1]。大阪府立生野高等学校を卒業[1]。神戸大学を中退してアナウンサーとして放送局に採用されるが、その後独立し、フリーアナウンサーとして活動。1984年8月5日から1993年9月26日までの9年間、朝日放送(ABCテレビ)の『パネルクイズ アタック25』で出題役を務めた。なお、1992年10月4日放送分から番組ロゴが一新されたため、歴代出題者としては唯一、2代のロゴ時代、そして昭和(1988年12月25日放送分まで)と平成(1989年1月15日放送分から)の双方を、また、3度の賞金変動期もそれぞれ経験している。しかし、その最長記録も2008年4月改編で沢木美佳子に抜かれている(その記録を1年上回った沢木自身は2009年3月29日放送分をもって降板、また、沢木の最長記録も加藤明子が2021年4月改編で抜いて、その半年後の2021年9月26日放送の最終回まで10年半務めた為、最終的には豊島の記録は歴代3位となっている)。
その後も、ABCの『ナイトinナイト』、関西テレビ放送(KTV)の『とぅぎゃざぁ』、毎日放送(MBSラジオ)の『おはよう川村龍一です』など、在阪局のテレビ・ラジオ番組に多数出演。童話や詩を朗読する「魔法の朗読会」も開催している。
大学に入学して「地質学や地層とかを掘りまわって世界を飛び回りたい」と夢のようなことばっかり言っていたが、「ありがとう浜村淳です」で募集の案内を車で聴いた父からすすめられ、あるところに入所して、合格したのでアナウンスのトレーニングを受け、19歳からこの仕事を始める。初めての相手は近藤光史。浜村淳の妻は、訓練を受けにいってタレントとして所属していた事務所の先輩。
趣味はラグビー観戦、釣り、旅行、俳句など多彩。仕事のかたわら、社会人学生として神戸大学発達科学部に通った。
2006年11月21日体調不良のため短期入院、27日ラジオ復帰。
あまりパソコンには詳しくないということだったが、ブログを始めている。
2010年3月に初めての著書「キュッと曲がって90度」(関西オノマトペ用例集)を、関西オノマトペ研究会として(組立通信より)出版。「シュッと」「てろてろ」「ドバッと」など、オノマトペと呼ばれる擬音語・擬態語について解説している。
2014年8月23日、当時パーソナリティを務めていた『豊島・ゴエのあさはやっ!?』(MBSラジオ)の放送中に結婚を発表[2]。趣味のラグビーを通じて知り合った。2016年劇場公開の東宝映画「後妻業の女」では、地元の大阪を主な舞台に設定した作品であることから、大阪でのロケ中に出演者への方言(大阪弁)指導を担当した。
現在の出演番組
- サンデーライブ ゴエでSHOW!(MBSラジオ 日 11:00-12:50、2016年4月3日 - )
固有名詞の分類
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