血税一揆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 14:38 UTC 版)
背景
一揆の要求内容からして、当時の農民が新政に不満をもっていた、というのは確かな様である。地租改正による重税や、凶作などの鬱憤があり、そこに徴兵令によって貴重な働き手であるはずの次男坊、三男坊をとられた。そして農民をして一揆を起こらしむることとなったのである。美作一揆において筆保らがかいた嘆願書、十か条の要求の第1条が「五ヶ年ノ間、貢米差除ノ事」とあることからも、それがみてとれる。
また、血税一揆には、1871年(明治4年)に施行された被差別部落の解放令に対しても反対していた(解放令反対一揆)。これは、被差別民が解放されることにより農業、その他生業が穢多非人と共有化し、圧迫されるという恐怖感も手伝ってのことでもあったとされている。
脚注
参考文献
- 藤井学ほか『県史33 岡山県の歴史』(山川出版社、2000年) ISBN 4-634-32330-3
- 木原溥幸ほか『県史37 香川県の歴史』(山川出版社、1997年) ISBN 4-634-32370-2
- 平凡社地方資料センター編『日本歴史地名大系32 鳥取県の地名』(平凡社、1992年) ISBN 4-582-49032-8
関連項目
外部リンク
- 本田増次郎自叙伝「ある日本人コスモポリタンの物語」 - 「村人たちの疑惑」の章(p11)で、美作の血税騒動の体験談を綴っている
- ^ a b c d e f 日本大百科全書. “血税一揆” (日本語). コトバンク. 2021年7月18日閲覧。
- ^ a b c 西村秀樹 (2014年8月28日). “連載●シリーズ「抗う人」⑩ 被差別部落民18人殺害、美作騒擾140年の沈黙に抗う~頭士 倫典”. 現代の理論デジタル第2号. 2021年7月18日閲覧。
- ^ “研修 (1)(67)”. 国立国会図書館蔵書検索 (2014年8月28日). 2021年7月18日閲覧。
- ^ 日本では長い間仏教などの影響から動物の乳である牛乳を忌避し、受容されたのは明治の頃であった。例としてはシーボルト「日本人は牛肉は食用に供せず、その乳は白き血と称して忌み嫌い」イエズス会士ジャン・クラッセ「日本人は牛乳を飲むことは生血を吸うようだといって用いない」[1]という報告があり、また開国へ向かう動きの中でも、攘夷論などの潮流があったことにも留意が必要である。血と乳は類似音であり、意味的にも通じるところがある為誤解の可能性は充分考えられる。
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