色情トルコ日記 評価

色情トルコ日記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/29 03:41 UTC 版)

評価

興行成績

特にヒットしなかったとされる[10]

評価

伴ジャクソンは、「サンドラ・ジュリアンクリスチーナ・リンドバーグシャロン・ケリーハリー・リームス、彼ら海外ポルノ陣の"性の黒船"なくして、日本の性情報の開国はあり得なかった。四人の偉大な先陣達」と評価している[13]

逸話

  • シャロン・ケリーは、マネージャーもおらず、異国に1人でやって来て、通訳も日本人で、「早く帰りたい」と淋しがっていたといわれ、佐藤蛾次郎は外国人と付き合ったことがあって少し英語が話せたため、よくシャロンと一緒にいた。新宿の伊勢丹前での撮影が終わり、佐藤がシャロンを宿泊先の京王プラザホテルまで送っていったら、タクシーの中でシャロンが腕を組んできて2人でホテルで降りた。喫茶店でお茶をしただけだったが、翌る日、撮影所に行くとスタッフが拍手して佐藤を出迎え、「蛾次郎さん、やりますね~」とニヤニヤ。タクシーの運転手が「昨日、蛾次郎さんとシャロンが2人でホテルに消えて行きました」と喋ったらしい。佐藤は「やっぱり、共演者には手を出せねえ」と自身もどこかで躊躇していたことを悔み、「みんなはシャロンと寝たと思っているし、ちくしょう、そんな噂になるんだったら、しとけばよかった」と話している[4]
  • 2015年(平成27年)10月から2016年(平成28年)1月にラピュタ阿佐ケ谷であった山口和彦の特集上映「山口和彦NIGHTS」で、シャロン・ケリーからのビデオ・メッセージが寄せられ、シャロンは「梅宮辰夫さんより山口監督とヤリたかった」と話したという[44]

影響

東映ポルノの再開

本作でポルノ映画製作の打ち切りを宣言したが[26]、地方では国産ポルノを欲しがる劇場が多く、低予算のポルノはひっそりと製作を続けられた[45][46][47]。正式にポルノ製作再開を打ち出したのは日本ヘラルドが配給した『エマニエル夫人』の大ヒットの影響で[25][48]、1974年(昭和49年)暮れから公開された『エマニエル夫人』の上映館は狭い劇場が多く、満員で入場を断られる客が続出し「エロにあぶれた男たちは必ずエロに戻ってくる!」と判断[25]。また1975年(昭和50年)の正月映画を予定していた「山口組三代目シリーズ」第三弾『山口組三代目 激突篇』が、東映と山口組の親密な関係が明るみに出たことで製作中止に追い込まれたため[49]、企画難がひねり出した苦肉策として急遽、岡田社長は東映ポルノの復活を決断した[26]。1975年(昭和50年)2月1日に関東地区で「デビュー三重奏」と銘打ち、新人ポルノ女優のデビュー作・大原美佐主演『怪猫トルコ風呂』(山口和彦監督)、森崎由紀主演『下刈り半次郎(秘)観音を探せ』(監督)と宮下順子の『赤線(秘)地帯』(監督不明)の三本立てで東映ポルノを再開させている[5][26][50]。宮下順子は当時は既にベテラン女優であったが、『赤線(秘)地帯』は宮下が日活入りする以前の1971年(昭和46年)に向井プロ山科ゆりと共演した宮下のデビュー作とした[5]。1975年(昭和50年)当時、東映は向井寛に『ディープ・スロート』の日本版編集を頼んでいた[25][51][52]。しかし宮下のデビュー作は、同じ1971年(昭和46年)の『私はこうして失った』(小林悟監督)とされており[53]、『赤線(秘)地帯』という映画は確認できず真偽は不明。日活は同時期の1975年(昭和50年)2月5日から宮下主演の『実録阿部定』(田中登監督)を公開したため、東映にドル箱女優を利用された形になり「モラルを疑いたい」と反発。しかし東映は「仁義は通してある」と表明した[5]。実はこれ東映側が「新仁義なき戦いシリーズ」第一弾『新仁義なき戦い』の菅原文太の相手役に宮下を借りたいと日活に申し入れたら、日活に軽くあしらわれたことに腹を立てての報復だった[5]。このケンカを宮下のファンは歓迎し、同時期の上映で宮下の人気上昇にもなるし、デビュー当時と現在の宮下のオッパイの膨らみ具合が比較できると喜んだ[5]


  1. ^ 色情トルコ日記 - 文化庁日本映画情報システム
  2. ^ 色情トルコ日記”. 日本映画製作者連盟. 2018年8月26日閲覧。
  3. ^ a b 70's東映プログラムピクチュアの雄 山口和彦NIGHTS/ラピュタ阿佐ケ谷
  4. ^ a b 佐藤蛾次郎「早く帰りたい」と米女優が囁いた京王プラザの夜
  5. ^ a b c d e f 「またぞろポルノ再開の東映」、『週刊読売』1975年2月1日号、読売新聞社、 33頁。
  6. ^ 猥褻 1993, pp. 144-145.
  7. ^ a b AV革命史 2009, pp. 21-25.
  8. ^ a b c d e f g h i j k 藤木TDC「藤木TDCのヴィンテージ女優秘画帖 第38回 『ラスト・スケバン・スタンディング』 その7」、『映画秘宝』2009年9月号、洋泉社、 99頁。藤木TDC「藤木TDCのヴィンテージ女優秘画帖 第39回 『ラスト・スケバン・スタンディング』 その8」、『映画秘宝』2009年8月号、洋泉社、 99頁。
  9. ^ a b ピンク映画史 2014, pp. 240-243.
  10. ^ a b c d e f g セクシーダイナマイト 1997, pp. 234-235.
  11. ^ a b c d e 「邦画新作情報」、『キネマ旬報』1974年3月下旬号、キネマ旬報社、 170 - 171頁。
  12. ^ 中野貴雄「東映不良性感度映画の世界 何といい湯加減な! 温泉芸者とポルノ時代劇」、『映画秘宝』2011年8月号、洋泉社、 55頁。
  13. ^ a b c d e f g h i j PV 1999, pp. 248-251.
  14. ^ a b c d e f g h i j k 「"世界のベスト・オナペット"が聞いてあきれる"本番女優"S・ケリーの意外な滞日行状記」、『週刊文春』1973年11月5日号、文藝春秋、 148頁。
  15. ^ a b c d 「〈噂の女〉 最後の東映ポルノに主演するシャロン・ケリー」、『週刊文春』1974年3月18日号、文藝春秋、 148頁。
  16. ^ a b c PV 1999, pp. 250-251.
  17. ^ a b c d e f g h i j 「梅宮辰夫にいどむシャロン・ケリーの"ウタマロ殺し"」、『週刊ポスト』1974年3月8日号、小学館、 43頁。
  18. ^ 「"スウェーデンの小百合"の露出料はいくらか」、『週刊ポスト』1973年2月2日号、小学館、 36頁。
  19. ^ a b c d 「〈タウン〉 ズバリ恥部も披露 シャロン嬢の売込み」、『週刊新潮』1974年3月14日号、新潮社、 13頁。
  20. ^ a b c d e f 「〈LOOK〉 ヘアが自慢の"本番ポルノ女優"」、『週刊現代』1973年10月18日号、講談社、 39頁。
  21. ^ a b c d 「〈タウン〉『アワ踊り』シャロン・ケリーの恍惚」、『週刊新潮』1974年4月4日号、新潮社、 13頁。
  22. ^ 高崎俊夫「〔映画美女と色男〕 インタビュー・荒木一郎 『わが映画人生』」、『文學界』2016年11月号、文藝春秋、 165頁。
  23. ^ 不良番長浪漫 2017, p. 152.
  24. ^ a b c d 「《ミッキー安川の出撃対談》 ゲスト=シャロン・ケリー(24) 『サイダー瓶の太さだけはできないわ』」、『週刊ポスト』1974年3月22日号、小学館、 58 - 62頁。
  25. ^ a b c d e f PV 1999, pp. 252-255.
  26. ^ a b c d e 「〈LOOK〉 東映が追及する新しい金脈とは」、『週刊現代』1975年1月2日号、講談社、 35頁。
  27. ^ ピンク水滸伝 1983, pp. 223-225.
  28. ^ 「幻のポルノ『深いノド』(なんと字幕にオ〇〇コ)上陸す」、『週刊文春』1975年4月23日号、文藝春秋、 21頁。
  29. ^ 「東映不良性感度映画の世界 東映不良性感度HISTORY 1974」、『映画秘宝』2011年8月号、洋泉社、 62頁。
  30. ^ ピンク水滸伝 1983, p. 162.
  31. ^ 藤木TDC「東映不良性感度映画の世界 アラン・ドロンから洋ピンまで 東映洋画の世界」、『映画秘宝』2011年8月号、洋泉社、 55頁。
  32. ^ a b c d e f 雑学読本 1983, pp. 158-160.
  33. ^ 「ウの目・タカの目『注釈なしでは脱げません』」、『週刊文春』1974年4月8日号、文藝春秋、 23頁。
  34. ^ a b 「あんぐる大学祭にもてるポルノ映画」、『読売新聞』夕刊9頁、1972年10月14日、読売新聞社
  35. ^ a b 「映画・トピック・ジャーナル 次元の低さ!? "馬淵ポルノ発言"」、『キネマ旬報』1973年8月上旬号、キネマ旬報社、 162頁。
  36. ^ 「山口組―続編またトラブル東映が製作を強行全防連は中止へ運動」、『読売新聞』夕刊9頁、1974年7月5日、読売新聞社
  37. ^ 布村建「極私的東映および教育映画部回想」、『映画論叢』第18巻2014年7月号、国書刊行会、 25 - 27頁。
  38. ^ 佐伯俊道「SCENARIO PEOPLE わが師、わが友」、『シナリオ』1986年10月号、日本シナリオ作家協会、 98 - 100頁。
  39. ^ 川本三郎「プロフェッショナル・110 山口和彦」、『キネマ旬報』1975年12月下旬号、キネマ旬報社、 137頁。
  40. ^ a b c 「イーデスハンソン対談(18) 〈ゲスト〉シャロン・ケリーさん 『"寝よう"といわれて"いやだ"と答える自由について』」、『週刊文春』1974年3月25日号、文藝春秋、 148頁。
  41. ^ 高沢瑛一・高りょう「本番女優・シャロン・ケリーの日本上陸」、『「映画芸術」1974年6~7月号 編集プロダクション映芸 pp.90–92』。
  42. ^ a b c d e f 「〈LOOK〉記者が失神! 外人ポルノ女優の特出し会見」、『週刊現代』1974年3月14日号、講談社、 37頁。
  43. ^ 不良番長浪漫 2017, p. 151.
  44. ^ 『色情トルコ日記』@ラピュタ阿佐ヶ谷 まさかの白裸シャロン・ケリー - Kiichiro Yanasita (@kiichiro) - Twitter
  45. ^ ピンク映画史 2014, pp. 263-266.
  46. ^ 復活!東映ニューポルノのDeepな世界/ラピュタ阿佐ケ谷鈴木義昭「日本セクスプロイテーション映画興亡史 (第9回)東映500万ポルノ~ 誕生から衰退まで」、『映画秘宝』2009年8月号、洋泉社、 62 - 65頁。「東映不良性感度映画の世界 忘れられた東映500万ポルノの世界」、『映画秘宝』2011年8月号、洋泉社、 61頁。「甦る東映ニューポルノの世界!」、『映画秘宝』2013年8月号、洋泉社、 69 - 69頁。「東映不良性感度映画の世界 忘れられた東映500万ポルノの世界」、『映画秘宝』2011年8月号、洋泉社、 61頁。
  47. ^ 深尾道典「東映ポルノ路線」、『シナリオ』1974年11月号、日本シナリオ作家協会、 80-81頁。
  48. ^ 猥褻 1993, pp. 223-226.
  49. ^ 黒沢清四方田犬彦吉見俊哉李鳳宇(編) 「内藤誠 『日本映画とやくざ、あるいは不良性感度の時代』」『日本映画は生きている 第四巻 スクリーンのなかの他者岩波書店2010年、280 - 281頁。ISBN 978-4-00-028394-6
  50. ^ ピンク水滸伝 1983, p. 234.
  51. ^ ピンク映画史 2014, pp. 311-317.
  52. ^ 猥褻 1993, pp. 226-228.
  53. ^ 『日本映画俳優全集・女優編』 キネマ旬報社、1980年、675 - 676頁。


「色情トルコ日記」の続きの解説一覧



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「色情トルコ日記」の関連用語

色情トルコ日記のお隣キーワード

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   
検索ランキング



色情トルコ日記のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの色情トルコ日記 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2019 Weblio RSS