緒方洪庵 親族

緒方洪庵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 16:59 UTC 版)

親族

  • 妻の八重は、夫との間に7男6女(うち4人は早世)を儲け、育児にいそしむ一方で洪庵を蔭から支えた良妻であった。洪庵の事業のため実家からの仕送りを工面したり、若く血気のはやる塾生たちの面倒を嫌がらずに見たりして、多くの人々から慕われた。時に洪庵が叱責すると、それをなだめつつ門弟を教え諭すことも多かった[4]。福沢は「私のお母っさんのような人」「非常に豪い御方であった。」と回想し、佐野常民は、若き日にうけた恩義が忘れられず八重の墓碑銘を書いている。洪庵の死後は彼の肖像画を毎日拝み遺児の養育に力を尽くした。八重の葬儀には、門下生から明治政府関係者、業者など朝野の名士や一般人が2000人ほど参列し、葬列は先頭が日本橋に差し掛かっても、彼女の棺は、2.5km離れた北浜の自宅から出ていなかったという。八重の甥に紙幣製造に貢献した化学者の岸本一郎(1849-1878年)がいる[7]。岸本は緒方宅で育ち、幕府派遣の英国留学生に選抜され、日本の最初期の化学留学生としてロンドンで学んだ[7]
  • 次男緒方惟準(これよし、1843-1909、幼名平三、のちに章、洪哉、字は子縄、通称は洪斎、号は蘭洲[8]
  • 三男・緒方惟孝(1844-1905)。
  • 第10子で五男の緒方惟直(1853-1878)は早くからフランス語を学び、1873年のウィーン万国博覧会で通訳を務めた。1875年にイタリアへ渡り、トリノ日本語教師となる。翌年当地の女性Maria -Giovanna serotti(1855.8.14パドヴァ〜1890.10.27ヴェネツィア)母ジョヴァンナ•ポレーゼと父ヴィンチェンツォ•セロッティの娘と結婚。[9]長女エウジェニア豊(1877-1967年)が生まれる。惟直は1878年に25歳で死去。豊は1890年に母親も亡くし、1891年に緒方家に引き取られ、加陽光太郎を婿養子に迎え二男三女をもうけた[10]
  • 第12子、六男の緖方收次郞(1857-1942)は、東京医学校を1881年に卒業し、東京大学雇及医学部眼科当直医となり、1883年東京大学御用掛、1886年に東京帝国大学助手となるも翌年辞職して緖方病院副院長となり眼科及外科の診察を担当。1889年から3年間滞欧し、帰国後緖方病院の院長を務めた[11]。その長男の緒方洪平は京都府立医科大学教授。三女・三重子は、横浜正金銀行役員のほか日本綿花監査役などを務めた平野珪蔵に嫁いだ[12]。五女・淑子の夫・福沢八十吉は福沢諭吉の孫(諭吉の長男・一太郎の長男)[13]
  • 第13子で八男の緒方重三郎(1858-1886)
  • 四女の八千代は洪庵の弟子・緒方拙斎(1834-1911、旧姓・西)を婿とした。拙斎は適々斎塾を継ぎ、緒方惟準らと1887年に緒方病院を設立、1889年には大阪慈恵病院を設立した[14]。その長女・千重(1861-1914)は緒方正清(1864-1919、旧姓・中村)を婿に迎えた。正清は帝国大学医科大学卒業後欧州に留学し、ベルリン大学ではロベルト・コッホに師事、帰国後、当時私立三大病院のひとつになっていた緒方病院の産婦人科長となり、その後は独立し、大阪今橋に日本初の本格的な産婦人科専門の緒方婦人科病院を設立[15]。産婆に代わって助産婦という語を提唱し、助産婦教育所、助産婦学会を設立するなどして産婦人科の発展に寄与した[16]。正清の病院は養子のが継ぎ、その子、孫と継承されている。
  • 孫の緒方知三郎緒方章はそれぞれ病理学者と薬学者である。
  • 曾孫の緒方富雄は東京大学で血清学の研究を行い、日本の血清学の基礎を固めた。昭和23年(1948年)3月に財団法人血清学振興会を設立し、血清学領域の基礎研究及び応用研究が行われてきた。その後、緒方医学化学研究所に発展し、血清学に留まらず広く医学・歯学分野などの調査研究(学術誌『医学と生物学』)を行っている。また、同研究所では緒方洪庵や杉田玄白石川大浪小石元瑞などの貴重な蘭学資料を「蘭学文庫」として所有して公開している。
  • 緒方恵美は遠縁の子孫。声優歌手などとして活躍するが、過去には祖先に倣い医師を目指すよう家族に勧められていたという[17]

  1. ^ 写真では白黒だが、実際はカラー。夫人の八重像と対。注文主は洪庵の三男・緒方惟孝(『特別展 没後100年 五姓田義松―最後の天才―』神奈川県立歴史博物館、2015年10月23日、第40,41図)。
  2. ^ 緒方富雄『緒方洪庵伝』第二版増補版(岩波書店、1977年)p4.
  3. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.26
  4. ^ a b c 【文化の扉】緒方洪庵と感染症 医療コレラ指針いち早く発信■天然痘ワクチン普及朝日新聞』朝刊2020年8月3日(扉面)同日閲覧
  5. ^ 福澤全集緒言』 - 9頁。
  6. ^ 福翁自傳』 - 153頁。
  7. ^ a b 芝哲夫「岸本一郎と西川虎之助」『和光純薬時報』71巻3号
  8. ^ 緒方惟準コトバンク
  9. ^ 『明治期のイタリア留学: 文化受容と語学習得』吉川弘文館、2017年。
  10. ^ 梅溪昇『洪庵・適塾の研究』思文閣出版、1993年、p534
  11. ^ 緖方收次郞『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  12. ^ 梅溪昇、芝哲夫『よみがえる適塾:適塾記念会50年のあゆみ』大阪大学出版会, 2002, p9
  13. ^ 福沢一太郎『人事興信録』第8版[昭和3(1928)年7月]
  14. ^ 緒方拙斎(読み)おがた せっさいデジタル版 日本人名大辞典+Plus
  15. ^ 緒方 正清(読み)オガタ マサキヨ20世紀日本人名事典
  16. ^ 日隈ふみ子「『助産の栞』の果たした役割」『京都大学医療技術短期大学部紀要』2000年
  17. ^ こういう生き方しかできないけど、誰かの役に立てるなら。 膨大なトライ&エラーを綴った初の自伝 『再生(仮)』刊行記念 緒方恵美インタビュー”. カドブン (2021年5月14日). 2021年5月16日閲覧。


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