第31回日本レコード大賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 02:08 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動第31回日本レコード大賞 | |
---|---|
受賞対象 | 音楽 |
開催日 | 1989年12月31日 |
会場 | 日本武道館 |
国 | 日本 |
司会 | 社団法人 日本作曲家協会 日本レコード大賞制定委員会 日本レコード大賞実行委員会 |
プレショー 司会者 | 板東英二 楠田枝里子 |
最新受賞者 | Wink「淋しい熱帯魚」 |
テレビ/ラジオ放送 | |
放送局 | TBSテレビ |
放送時間 | 日曜日18:30 - 20:54(JST) |
視聴率 | 14.0% |
プロデュース | 塩川和則 |
ディレクター | 難波一弘(演出) 利根川展(舞台監督) |
概要
この回と次回の男性司会は、当時TBSテレビ番組『わいわいスポーツ塾』の司会を務め、また同じくTBSテレビ番組『日立 世界・ふしぎ発見!』と『クイズ!!ひらめきパスワード』(毎日放送制作)のレギュラー解答者を務めていた板東英二が担当、初の「プロ野球出身者」が担当する。また女性司会は、日本テレビアナウンサー出身の楠田枝里子が担当、「フリーアナウンサー」担当はNHK出身の高橋圭三・森本毅郎に次いで3人目で、「女性」と「民放出身」は共に初となる。なお楠田は翌1990年より、フジテレビの歌謡祭番組『FNS歌謡祭』を2004年まで務め、日本2大歌謡祭番組の司会を担当する事となる。
第31回の大賞は、Winkの「淋しい熱帯魚」に決定した。Winkは初の受賞。女性アイドルデュオが受賞するのは、第20回のピンク・レディー以来11年ぶり。アイドル歌手の受賞は第27回(1985年)から5年連続。大賞を発表したプレゼンターは、少年隊の東山紀之(翌日放送『源義経』の番宣で出演)。最優秀歌唱賞のプレゼンターは島倉千代子が務めた。
美空ひばりの「川の流れのように」、前年からの2連覇を狙った光GENJIの「太陽がいっぱい」、年間ベスト10に3曲を送り込むなどブームとなったWinkの「淋しい熱帯魚」が三つ巴となり混戦になった。そんな中、当初マスコミの間では美空ひばりが有力視されたが、故人の歌手に大賞を与えることに前例がないことからまとまらず、最終的に多くの票がWinkに流れ、予想外の大差となった。大賞はWink、次点は美空ひばり、3位は光GENJI。
大賞決定後、審査会場で緊急動議が提出され、この年に亡くなった国民的人気歌手、美空ひばりに特別栄誉歌手賞が満場一致で承認・授与された。また「美空ひばり賞」が新設された。
最優秀新人賞を受賞したマルシアには、故郷ブラジルから中継をつなぎ親族・友人が声援を送った。最優秀新人賞発表では、TBSスタジオの審査会場から開票を長峰由紀(当時TBSアナウンサー)が実況した。
翌第32回(1990年)から「歌謡曲・演歌部門」・「ポップス・ロック部門」が創設されることになった。
視聴率は7.7P下落の14.0%。21年ぶりに10%台に転落。第40回NHK紅白歌合戦が午後7時20分開始に繰り上げたため、時間帯が重なりその影響を大きく受ける。
TBSは「拡大紅白は今回限り」と認識していたため、この時のNHKの対応には目を瞑る姿勢を示した[1]。
この年より、山形県のTBS系列局として10月に開局したテレビユー山形にもレコード大賞が生中継されるようになった。
司会
進行補佐
- 松下賢次(TBSアナウンサー)
- ^ 「第41回NHK紅白歌合戦」の項を参照。
- 1 第31回日本レコード大賞とは
- 2 第31回日本レコード大賞の概要
- 3 受賞作品・受賞者一覧
- 4 TV中継スタッフ
固有名詞の分類
- 第31回日本レコード大賞のページへのリンク