歌謡曲歌手としての日本デビュー
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「マルシア」の記事における「歌謡曲歌手としての日本デビュー」の解説
1985年、ブラジルで開かれたTBSの『TBS歌謡選手権』で準優勝。翌年、同じくブラジルで開かれたテレビ東京の『外国人歌謡大賞』で優勝、ブラジル代表となり決勝大会進出のため初来日。このとき審査員をつとめていた作曲家の猪俣公章の目に留まり、猪俣がブラジルへ足を運んでスカウトさて翌年、祖父の佐登里と共に来日し、猪俣公章の内弟子となる。そこには坂本冬美がいて、日本語の分からないマルシアと和歌山弁しか話せない坂本で寝食を共にした。マルシアにとって坂本は姉弟子で、東京でできたお互い初めての友達だった。マルシアは内弟子時代に耐え切れず一度だけ逃げ出したことがあり、その家出先が坂本の家だった。 厳しい修業を乗り越え、1989年1月、「ふりむけばヨコハマ」でデビュー。同期デビューの歌手には中山忍、星野由妃、島崎和歌子、千葉美加、川越美和、細川直美、里中茶美、香田晋、尾鷲義人など。特に同年の新人賞レースでは、田村英里子との凄まじい激戦が繰り広げられた。『第31回日本レコード大賞』や『FNS歌謡祭』では最優秀新人賞を獲得するなど、数多くの新人賞を受賞する。 だが、マルシアがブラジルに凱旋帰国公演をする直前に、実父の千秋は心不全で急死。父はとうとう日本の土を踏むことは出来なかった。
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