歌謡曲歌手としての日本デビューとは? わかりやすく解説

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歌謡曲歌手としての日本デビュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 01:02 UTC 版)

マルシア」の記事における「歌謡曲歌手としての日本デビュー」の解説

1985年ブラジル開かれたTBSの『TBS歌謡選手権』で準優勝翌年同じくブラジル開かれたテレビ東京の『外国人歌謡大賞』で優勝ブラジル代表となり決勝大会進出のため初来日。このとき審査員つとめていた作曲家猪俣公章の目に留まり猪俣ブラジル足を運んでスカウトさて翌年祖父の佐登里と共に来日し猪俣公章内弟子となる。そこには坂本冬美がいて、日本語分からないマルシア和歌山弁しか話せない坂本寝食を共にした。マルシアにとって坂本姉弟子で、東京でできたお互い初めての友達だった。マルシア内弟子時代に耐え切れず一度だけ逃げ出したことがあり、その家出先が坂本の家だった。 厳し修業乗り越え1989年1月、「ふりむけばヨコハマ」でデビュー同期デビュー歌手には中山忍星野由妃島崎和歌子千葉美加川越美和細川直美里中茶美香田晋尾鷲義人など。特に同年新人賞レースでは、田村英里子との凄まじい激戦繰り広げられた。『第31回日本レコード大賞』や『FNS歌謡祭』では最優秀新人賞獲得するなど、数多く新人賞受賞する。 だが、マルシアブラジル凱旋帰国公演をする直前に、実父千秋心不全急死。父はとうとう日本土を踏むことは出来なかった。

※この「歌謡曲歌手としての日本デビュー」の解説は、「マルシア」の解説の一部です。
「歌謡曲歌手としての日本デビュー」を含む「マルシア」の記事については、「マルシア」の概要を参照ください。

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