盧溝橋事件 現地軍の折衝

盧溝橋事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/23 02:38 UTC 版)

盧溝橋事件(ろこうきょうじけん、中国語: 七七事件; 簡体字: 卢沟桥事变; 繁体字: 盧溝橋事變)は、1937年昭和12年)7月7日中華民国北平市(現:北京市)西南方向の盧溝橋で起きた日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件である[4][注釈 1]。1937年7月7日夜、豊台に駐屯していた支那駐屯歩兵第一聯隊第三大隊第八中隊の将兵が盧溝橋付近の河原で夜間演習中、実弾を撃ち込まれ、点呼時に兵士の1人が所在不明だったため、中国側の攻撃があったと判断して起きたと言われる。比較的小規模な戦闘が繰り返された後、9日には中国側からの申し入れにより一時停戦状態となった[1]が、その後も小競り合いが続き、幾つかの和平交渉が行われたものの(後述)、結果として日中戦争支那事変)の発端となった[5]とされる。中国では一般的に七七事変と呼ばれる[6]。まれに、後述する英語名を直訳してマルコ・ポーロ橋事件と表記される場合もある。英語ではMarco Polo Bridge IncidentBattle of Marco Polo Bridgeと呼ばれる[7][注釈 2]






「盧溝橋事件」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「盧溝橋事件」の関連用語

盧溝橋事件のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



盧溝橋事件のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの盧溝橋事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS